西陣にまつわる
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12/22

西陣にまつわる人々が、綴るコラムCOLUMN

2021.04.24
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先日、西陣のまちを久しぶりに歩きました。西陣は京都に来てはじめに住んだまちです。その頃は超貧乏でした。

 

そうそう、このスーパー。 家具もほとんどなかった私。納品で使ってはるあのリンゴ箱、棚にして使えるなぁ…。そう思って貰えませんかと尋ねてみたら、ベテランであろうおばちゃんが「好きなだけ持っていき」と。…じーん。喜び勇んで1つずつ担ぎ、スーパーとうちを3往復したのでした。

 

それから今まで、多くの人に出会わせてもらいました。そして形があったりなかったりする多くのものを、私は今もいろんな人から貰って生きています。

 

何か貰うときにはいつだって感情が伴うものです。私も社会の一員なんだなぁという安堵だったり、誰もが本当はお金やモノを沢山持っていなくても生きることができるんじゃないかという希望だったり…。

 

なかでも私にとって感情が大きく揺さぶられる「バザールカフェ」という場所が、今出川駅のすぐそばにあります。カフェに居ついて7年目。ここで日々起こるできごとをちょっとずつ、これから皆さんにシェアできたら嬉しいです。

 

それにしても、始まりは西陣にあり。リンゴ箱は現在もウチで活躍中です。

狭間明日実

バザールカフェ店員 狭間明日実

バザールカフェ事務局6年目。日々の営みをとおして、場から起こるもの、個人がのびのびと生きることなどを考えています。 傍らで、地域、福祉、食べることにまつわるいろんな仕事や遊びをしています。 同志社大学社会福祉学科卒業。社会福祉士。海が好き。

2021.04.23
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堀川の工房前にある一本の銀杏。春は鮮やかな新緑に、秋には黄金色に彩られ工房の中を照らします。この木は四季徒然に私を見守ってます。西陣東側を縦貫する堀川通は美しい銀杏並木が好ましい景観を作っています。

 

かつて私は、江戸金枠を継いではいるものの家業の未来は描きづらく、最後に心意気だけでも遺せればと思っていました。

 

あの日東日本大震災が東北を襲い、大きく自分を突き動かすきっかけとなりました。志を携えていても人生は仕事を成すには短かすぎます。そこで新たな制作への刺激を求めて東京から京都に工房を移転しました。

 

工房で身につくことは技術の初歩にすぎません。いつでもこれからが本当の修業の始まりです。その見方では私も修業中の身。いまは愛弟子と共に学ぶ日々を送っています。願わくばこの子の修業人生が順調でありその末に「良かった」と思えるようであって欲しいものです。

 

京都のものづくりはミクロの世界に分け入るような印象(個人的な感想です)。それだけに囚われてしまったら迷宮に入りにかねません。外界に発出する仕事であることを強く意識していこうと思います。

 

これから西陣に暮すこと、作ること、継承のことなどを綴って行きたいと思います。拙い文章ですがどうぞよろしくお願いします。

山ノ瀬亮胤

眼鏡制作者・現代美術家・ソシエテヌーベルリュネト視覚研究所々長 山ノ瀬亮胤

京都市上京区在住。眼鏡制作者・現代美術家・ソシエテヌーベルリュネト視覚研究所々長。芸術~工芸に拡がる独自分野の構築で国内外より評価され欧州ハプスブルグ家御用達。マスメディアでの出演・取材多数。豊かな江戸庶民文化と職人の心を紹介している。

2021.04.22
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ぼくは西陣の南の方に住んでいる。

ここを西陣といってもいいのかなという場所だけどほんとはwikipediaで調べた西陣の範囲ではなさそう。

まあ〜いいか。みんなも西陣の範囲は曖昧だろうし。たぶん。

一応wikipediaの定義にあった範囲をかいておくと「おおむねの範囲は、西限が七本松通、南限が一条通、東限が小川通、北限が上京区・北区の区境である。」ですって。ふーん。

東が小川通までっていうのが結構以外。堀川はこえるんですね。

あれっでも北の方すごい曖昧。google Mapsで上京区と北区の区境をしらべると複雑に入り組んでいるのがわかる。画像参照。

そうなると鞍馬口通りあたりの西陣といえばのあたりは北区だし。

おおむねの範囲っていってるからそのあたりざっくりなんでしょね。

だとすると僕の家も西陣!っていったら許してもらえるんだとおもう。

西陣はだれのものでもない。

小野友資

Y小 小野友資

2007年より1-10に参加、モーションデザイナーとしてウェブサイトからデジタルサイネージまで様々なフィールドに渡る制作に関わる。在籍中の2013年個人活動としてYUYBOOKSオープン。本をコミュニケーションツールとし、企画やデジタル作品を展開。2016年よりデジタルの活動をフリーランスへ。デジタルつかってアナログなもの集めています。

2021.04.21
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こんにちは、初めまして。西陣生まれ、西陣育ち、龍田春奈といいます。「わたしにとって西陣のまちってどんなところだろう?」と考えたとき、それは幼少期の、学生時代の思い出、そして現在の風景と重なります。それはあまりに日常的すぎて、どこをどう切り取ったらドラマチックになるだろうかなどと、しばし思考を巡らせてみるも、どうも収拾がつかない。思い出がとっ散らかったまちである。

 

近すぎて知らないことってありますよね。それは知ろうとしなければ知り得ないこと。ずっと京都に住んでいる人よりも、外から入ってきた人の方が京都についてよっぽど詳しいなんてことザラだし(これは京都ならではのことかもしれないし、代々住んでいるからこその不文律はもちろんあるけれど)。その点同じテーマで書くリレーコラムって、いろんな人の目線を通して、西陣を見ることが出来る。

 

少し前に読んだエッセイ集の帯に、こんなキャッチフレーズが書いてありました。「人生はドラマではないが、シーンは急に来る」。なるほど、これからわたしの生活の中のシーンを切り取って、こうしてリレーコラムになるなんて面白いじゃないの。オサノート、どうぞよろしくお願いします。

龍田 春奈

咲里畑 届けびと 龍田 春奈

1993年京都生まれ。西陣育ち。京都市西京区大原野「咲里畑」にて、季節の多品目の野菜、ハーブ、エディブルフラワーを、農薬や化学肥料を使わず育て、販売している。農ある暮らしの中に感じる豊かさを、人に届けることに喜びを見出しています。

2021.04.20
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東京から西陣エリアに拠点を移し、そろそろ4年。でもぼくが初めてここに来たのは、そう、昭和末期のバブルの始まる少し前、1987年だったと思います。その当時、明治から昭和初期に建てられた近代建築を巡るまち歩きにハマって、建築史家の藤森輝信さん(今は建築家としても活躍)のガイドブックを片手に、関西にまで足を伸ばし、建物の写真を撮ったりしていました。何が面白いの?って言われると困りますが、切手集めや昆虫採集みたいなもんでしょうかね。で、そのとき西陣で見たのがこの建物。1921年、岩本禄の設計した旧・京都中央電話局西陣分局(現・西陣産業創造会館)です。正面に女性レリーフがある大きな半円形を設け、その中央にドンと出窓を配し、ほかには特に目立った装飾のないシンプルな外観。公共建築を西欧の古典的様式で飾るのが普通だった時代、ものすごく斬新な建物だったはずです。ちなみにこのレリーフ、つい最近京都国立近代美術館で開催された「分離派建築会100年」展に、型取りしたものが展示されていました。その上、同じ意匠でつくった落雁をミュージアムショップで販売していて、さすが京都だな〜と感心したり。

曽我高明

ANEWAL Gallery現代美術製作所 ディレクター 曽我高明

東京の下町・墨田区の向島で、長年展覧会やアートプロジェクトに取り組んできました。縁あって2017年より上京区に拠点を移し、ANEWAL Gallery 現代美術製作所(通称:現代美術製作所)をオープン。ゆるいペースで様々な活動をしています。

2021.04.19
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社会福祉の仕事に就いて20年以上が経ちますが、異動がある身分なので、西陣界隈はまだ3年目の新参者です。

 

福祉は、「ふだんの、くらしの、しあわせ」のことだと言われています。

 

馴染みのお店や、居心地の良い場所で、おいしいものを食べたり、美しいものを観たり聴いたり、気の合う人とおしゃべりしたり。

 

たとえ身体が不自由になっても、住み慣れた地域で、何気ない日常の中に、些細な喜びや楽しみをたくさん見つけていくことが、福祉の本質だと思っています。

 

他の執筆メンバーを見ていたら、どうも自分だけ浮いているような気がしないでもないけれど、私の立場からすると、「西陣×福祉」の視点から、「ふだんの、くらしの、しあわせ」について、何か書ければ良いのかな、と思っています。

 

そんなことを言いつつ、案外、帰り道にある、おいしいパン屋さんのこととかを書くかもしれませんが、それはそれで、私にとっては、「ふだんの、くらしの、しあわせ」です。

これから、どうぞよろしくお願いします。

中島慶行

京都市小川特別養護老人ホーム 施設長 中島慶行

立命館大学大学院社会学研究科博士前期課程修了。 2009年より2年間、京都市小川特別養護老人ホーム副施設長兼京都市上京区地域介護予防推進センター長を務めたあと、伏見区の施設に異動。 2019年、京都市小川特別養護老人ホーム施設長兼京都市上京区地域介護予防推進センター長として復帰。 銭湯と牛乳とじゃこ天が好きです。

2021.04.18
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私は資料館や博物館のたぐいがたまらなく好きだ。薄暗く、静かな展示室の中に、それ自身は何も語らない“モノ”がたたずむ。はるか昔からほんのひと昔前まで、さまざまな時間がそこに詰め込まれている。資料の保存のために管理された温度や湿度すらも心地いい。私は資料なのかもしれない。  “モノ”を展示する資料館は、それ自体も歴史的な価値を持った“モノ”である。中でも私が好きなのが、西陣の一角にある「京都市考古資料館」である。この建物は、建築家・本野精吾の設計で、大正3年に「西陣織物館」として建てられた。西陣織会館の前身である。  そののっぺりとした姿は、ウィーンにある「ロースハウス」というモダニズム建築によく似ている。ロースハウスの設計者、アドルフ・ロースは「装飾は罪悪である」という過激な言葉で知られ、装飾のないシンプルな建築を好んだ。西陣織物館も、その流れの影響を受けている。  西陣織物館は、西陣の中でも富裕な生糸問屋が集まっていた「千両ヶ辻」のそばに建てられた。西陣織と言えば、華美を極めた色鮮やかな高級織物である。その西陣織が、装飾をそぎおとしたストイックな建物に展示されている。そのギャップが面白い。

重永瞬

京都大学文学部地理学専修 重永瞬

地図とまち歩きが好きな大学生。“西陣の端っこ”(お隣?)仁和学区で生まれ育つ。大学で地理学を学ぶかたわら、まち歩き団体「まいまい京都」でスタッフとガイドを務める。なんでもない街角の記憶を掘り起こしたい。古本とラーメンが好き。

2021.04.17
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『あそこの職人さんがもう辞めはるんやて』『子どもに継がせてもなぁ、この先考えたら…』という大人の話。このよう会話を聞くたびに、「なんとかならんもんなんかなぁ」と思い続けて十数年。写真では伝わりきらへん美しさがあり、後世に伝えていきたい、遺していきたい。と思う伝統産業品の数々が京都にはあります。特に西陣では西陣織が有名です。完成するまでには材料準備から仕上げまで、たくさんの工程があります。手で数えられないほどの職人さんが関わっておられ、1人でも欠けたら完成するのは難しい。そしてその技はすぐに体得できるものではなく、向き不向きもある。  これら以外にも様々なハードルを超、私たちが後世に遺していくためには何ができるだろう。想いを巡らせ西陣のまちを歩く。そうすると普段とはまた、違った風景が浮かんできます。  とまぁ、書きましたが、日々の暮らしの中にそのような余裕はほとんどなく…ときたま、朝の時間や休日にゆっくり歩いてみると見えてくる風景、目に入ってくるものが変化します。西陣というまちは”歴史”と”新しさ”が混在している地域です。多様性を感じながら新たなまちの魅力を発見することがとっても面白いです。

淀谷斉加

商店街盛り上げ隊! 代表 淀谷斉加

京都生まれの22才。西陣在住。 歴史や着物が好きで食べることが大好き。 将来はまち歩きをしながら京都の魅力を発信したい。 ひとことでは伝えられない魅力を持つ奥深い西陣をエピソードなど含めながらお伝えしていければと思っています♫

2021.04.16
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はじめましてこんにちは

あいうめめです。

下京区から上京区へやってきました。

 

福岡で生まれ育ち

東京をはさみつつ

京都に暮らして6年。

 

デザイン、映像、漫画のお仕事をしつつ

ここ3年は子育てメインで勤しんでおります。

子育ては本当に 楽しく、しんどく、あまく、苦く、 クリエイティブですね。

 

京都で子育てをするにあたり、

西陣がどうやら便利でいい場所だと聞き、

家族の青春の場にと決めました。

 

西陣の魅力を

子育てや日々の暮らしの目線から

これから時々この場を借りて、

四コマで綴りたいとおもいます。

お髭がチャームポイントの

夫も綴る予定です。

 

どうぞよろしくおねがいします。

あいうめめ

主婦 あいうめめ

下京区から上京区へお引っ越し。 3歳と0歳の娘をもつ主婦です。 京都西陣の暮らしと子育てを綴る。

2021.04.15
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はじめまして。好文舍の宇野と申します。

町家でギャラリー、喫茶、教室などを運営しています。

オサノートに参加の機会をいただき感謝申し上げます。

 

さて、今回は街の音について。

路地奥の好文舍は周りを囲まれているので驚くほど静かです。 昔の商人の住まい方は、道に面した表を店舗に、奥を住居にしていたと聞き、成る程と思います。

 

そんな静かな中にあって、決まった曜日の昼過ぎにカランカランと響く気になる音。

それは入山豆腐の姪御さんがリヤカーを押してやってくるのを知らせる鐘の音です。もたもたしていると過ぎ去ってしまう事もありますが、大抵は同じく常連である向かいのポルトガルタイル店のFさんが先に出ていて、3人挨拶を交わしながら買い物をしています。

 

先日入山さんのリヤカーにテレビクルーが密着していて、「鐘の音が聞こえると晩御飯は豆腐にしようと、こうやって買いに来るんです」と答えると、「満点の回答をありがとう」と言われたので、もしかすると放映されるかも?と少し期待をしています。

 

それではまた。 次回もよろしくお願い致します。

宇野貴佳

好文舎店主 宇野貴佳

油小路の路地奥でギャラリー喫茶を運営しています。 目立たない店が故か、ちょっと個性的なお客様が多いように感じています。 ここでの出会いを中心に、見聞きしたあれこれをお話しできれば幸いです。