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狭間明日実

バザールカフェ店員狭間明日実

バザールカフェ事務局6年目。日々の営みをとおして、場から起こるもの、個人がのびのびと生きることなどを考えています。 傍らで、地域、福祉、食べることにまつわるいろんな仕事や遊びをしています。 同志社大学社会福祉学科卒業。社会福祉士。海が好き。

2022.04.02
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バザールカフェ、運営メンバーで年度末に話し合いをします。
話題のひとつが「地域のなかで、どういう存在でありたいのか」。

設立25年目にさしかかろうとしている団体なので、今さら感があるかもしれません。
でも、組織内はもちろんのこと、社会や周辺環境の状況も移り変わっていくわけで、都度こういった話をするのは自然なことだよなぁと、ポジティブに考えています。
むしろ、何度でも立ち戻ることが必要なんだろうなぁと思います。

それこそ私は人生30年目を前にして、どういう存在でありたいのか問うています。

急かされたり、分かりやすいものを求められたりすることがあるけれど、焦って答えを出さないでいられるといいな、と思います。
あいまいな自分の表現が社会と接するところを、じっくり見つめて味わう時間をゆるされるような、そんな社会を構成する1人になれたらいいな、という、あいまいなことを考えています。

カフェの話し合いもこんなふうになるんだろうなーと想像しながら、また来年度も皆さまと関われたら嬉しいなという気持ちです。
どうぞよろしくお願いします。

2022.03.02
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「コロナ陽性者が出て保育園が休園になった」
「小学校でリモート授業が始まった」

第6波が来たと言われてしばらく、こんな事態になっています。
普段行く場所をなくした子どもたちがどこに「いる」のか、私は想像できていませんでした。

2月上旬のある日、お昼どきを過ぎた頃にバザールカフェに寄ると、庭で4,5人の子どもたちが走り回っていました。そこに親御さんの姿はほぼなし。バザールカフェのスタッフやボランティアやお客さんが、子どもたちと一緒に遊んでいるのです。

カフェなので、子どもさんと遊べる態勢でないときが勿論あります。
まったく知らないお子さんが1人で訪れるということも、これまではなかったように思います。

ただ、子どもが今そこに「いる」ということを、空間や、居合わせた人が無条件に受け入れている。
そしてそれぞれが無理のない距離感で、そのときをなんとなく楽しんでいる。
そんなように私は感じました。

「お子さんと一緒に遊びます!ぜひおいでください!」と大手を振っては言えませんが、お子さんも親御さんも「いる」ことができる場所のひとつとして、バザールカフェを思い出していただけると幸いです。

2022.01.28
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お正月を過ぎた1月6日、バザールカフェの大掃除をしました。集まったのは15名ほど。黙々と作業する人、おしゃべりの間は手が止まる人、お昼ごはんを作る人、人がやっている作業を見てやりたがる人、大変な作業を買って出る人…。

以前に、バザールのことを「だらだらでばらばら」と表現した人がいます。この日も掃除という作業を通して、それぞれのやり方やペースが尊重されている光景がありました。冬晴れに、彼らの表情はゆるっと力が抜けていて、それを見て私も気持ちいいなぁと思ったのでした。

流行の感染症を取り巻いて、これをやったらだめとか、こうしないといけないとか、そういったことに、ぎゅっと身も心も支配されてしまいそうになることがあります。それはそれで受け入れつつ、一方では、のびのびと、体と心をほどくような感覚を、より大切に扱いたいなぁと思った、今年のはじまりです。

そういうわけで、きっとあなたの1年も、いい1年!

2021.12.18
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もともと西陣に住んでいた方に、先日インタビューをしました。

こっちに引っ越してきたときのあなたの状況ってどんなだっけ?初めてバザールカフェに来たのはいつだっけな。どんな場面だったか覚えている?そのときどう思ったん?…

質問するって、めちゃめちゃムズカシイんですね!まるでモヤがかかった海を、インタビュー相手と乗った船で、制限時間までに目的地に辿り着けるのか?!みたいな感覚で、はじめのほうは焦りを感じておりました。

しかし、インタビューの途中、相手の記憶に強く刻まれていること、相手が大切にしてることが見えてくるのを、何度か感じました。

それは、こちらが聞き出したかったこととは違っていたり、思いもよらないことだったり。それを聞いているうちに、なんだか心がほぐれていくような気持ちになりました。

きっと普段のコミュニケーションでも。
相手の反応や答えに何かを期待せず、相手の頭の中に興味を向けると、なぜか自分が癒される。フシギですが、それをちょっとだけ体験した冬の日でした。

それでは皆さま、よいお年を!
(「よいお年を!」の語呂がすごく好きで、この時期は何度も言いたくなります。)

2021.11.19
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寒くなってくると、肩がこわばって固くなったりして、「いま体がストレス感じてる!」と思うときがあります。それに気づいたときは、力を抜いてストレッチ。

うってかわって「私、最近 調子いいな~」と思うときには、近くに家事の負担を減らしてくれている人がいたり、お天気の日が続いていたりすることに気づいて、人や自然に感謝できます。

自分にとって心地よい環境とか、反対に調子が悪いときとか、そういったことを徐々に感じ取れるようになっているのは、「自分の心身の声を聴く」ということを、バザールカフェにいる人たちから日頃、教わっているからだなーと思います。

普段から助けられ上手な人
しんどくても言い出せない人
ギリギリの状態で人を頼って命を持ちこたえる人

人が違えば性格も違うわな、と思えますが、しかし自分ひとりだって、日によって体調や気分は違います。
昨日できていたのに、今日できない!ということもあれば、自分の心身の声が聞こえてこないことさえあります。

それでも聴こうとする姿勢が、自分を大切にするってことなのだろうなーと、最近思います。
つまり、季節の変わり目、皆さまご自身を大切に、健康に過ごされますように!

2021.10.20
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「不便益」という言葉をご存知でしょうか?
不便から得られる益、のことだそうです。

たとえば、バザールカフェでは食洗機を使わず、みんなの手でお皿を洗っています。
そうすると、お皿を洗う人と拭く人の間にコミュニケーションが生まれ、食器には愛着がわき、達成感も得られます。手が荒れる人がいれば知恵を出し合って、手袋をはめてみたり、洗剤をかえてみたり、工夫も生まれます。食洗機と違って、電気も使わないで済みます。
食器の手洗いは非効率で不便に思えますが、いいことがたくさんあるのです。

そもそも「便利」が一般的にどういうふうに使われているかというと、「何かのタスクを達成する時に労力が少ないこと」。そして、このときの「労力」は「手間がかかることか、頭を使わねばならぬこと」のようです。

つまり、この「労力」を(ときにはわざわざ)かけるのが「不便」。
そりゃー「不便」のほうがワクワクするわけだ!と思います。

身のまわりの不便益、みなさんも見つけて味わってみてはいかがでしょうか。

2021.09.20
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バザールカフェのお庭の畑は、いろんな人が手を入れます。

今年の春、1人の学生が畑の隅に大豆の種を蒔きました。
芽が出てくると一緒に喜び、学生の彼は支柱を1本立ててやり、この9月には大豆は50cmくらいの背丈になっていました。
最近バザールに来られていない学生の彼が、成長した大豆を見たらさぞ喜ぶことだろう…。
そう思っていたある日、ボランティアの方がさわやかに「畑に枝豆なってた~」と言って、なんとその大豆に実をつけていた枝豆をすべて収穫したのです。
私はぎょっとして、心を落ち着けて、とりあえず「すごい!」と言いました。
そしてたっぷりのお湯で枝豆を茹でて数名で食べ、学生の彼に謝罪のメールを入れました。
彼は、「大丈夫です」「オモロイ」とのこと。
寛大な彼に感心していた数日後。
別のボランティアの方が、「畑の草引きやっといたで!あ、こんなんあったで」と言って見せてくれた手には、根っこから引き抜かれた大豆。
私はもうぎょっともせず、思わず笑ってしまいました。
伝えると、大学生の彼も笑っていました。

共用の場所をつくり使うこと、分け合うこと。

大豆と大豆を取り巻く人たちによって、そんなことを考えた秋のはじまりです。

2021.08.21
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緑が覆う庭で、常連の大学生がボランティアスタッフのおじさんにベンチの作り方を教わっている。あるときはカフェの駐輪所に自転車を停めに来た高校生に、スタッフが大勢たかって「今日部活どうやった?」「晩ごはん何?」などとたたみかけている。またあるときはコーヒーを飲んでいる常連さんに「ちょっと相談にのってもらえませんか」と断る間もなくスタッフがすでに隣に座っている。と思えばスタッフとは初めに挨拶を交わしたきり、今日は特段話し込むことはなかったなぁという日もある。

これらはバザールカフェで見かける光景の一部です。その光景は「客と店員」という、あるいは「何者かと何者か」という区別をするには不似合で、そこにいる人と人とが自由な関係で相対しているように見え、とてもよいなぁと思っています。

バザールカフェの「バザール」の意味は「市場」。人が行き交い、コミュニケーションが生まれる場。それでいて、昔の日本の「市」は無縁の人がかけ込む場でもあったそうです。そこでは誰が何者であるかを追及されない暗黙の了解があったのだと知り、バザールカフェの設立当時によくつけられた名前だなぁと感心しっぱなしの最近です。

2021.07.22
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バザールカフェでは複数のシェフが、それぞれにルーツのある国の家庭料理を日替わり料理としてふるまっています。タイ、フィリピン、インドネシア、韓国など。いつだって目にも舌にも楽しい料理ばかりなのですが…先日、開店前に味見をした時のこと。

あれ、このスープ何入れた?と店長。
するとシェフは「ミント入れたらおいしいかなと思って…」とバツが悪そうな顔。
まずは店長、「悪いとかじゃないよ!」と一言。それから、ハーブの香りが苦手な人もいること、今後ハーブを使用するときは通常のスープと分けて作る提案などを、丁寧にシェフに伝えていました。キッチンに居合わせたボランティアの方やスタッフも次々に意見を出し、シェフも納得した様子で、すぐに和やかな雰囲気に。

自分の想定外のことが起こったとき、アクシデントが起こったとき、そのことやその人を責めたり排除したりするのではなく、できる限りの人の考えや感覚の参画をもって、じゃあどうしたらよいか、を考える。それを繰り返していくことで、共同体としてしなやかさを増していくのだなぁと思った場面でした。

そんな積み重ねが詰まったバザールカフェの日替わり料理、ぜひ召し上がってみてくださいね!

2021.06.23
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「脈々と受け継がれる」という表現について。
たとえば西陣織も、脈々と受け継がれてきたものの1つでしょう。

「脈々」の脈は脈打つ人。私はそのときそこに生きていた人ひとりひとりの声や姿を想像するのです。決して名を残した人だけではなく、過去の多数の人々の微小な影響同士が作用しあって、歴史は今に至ると思うからです。

私が「人がただ在ることの価値」を感じるのは、それと似ている気がします。

「あなたがこの時ここにいる」ことは、名前のつかない結果がそこに生まれているということだと思います。即効性がないので見えにくいのですが、実はみんな、その名前のつかない結果の連続を生きているのではないかと思います。自分の力で何かを生み出そうとしなくても、結果は自然に発生しているのだと。

人が存在するということは、複雑で、混沌としていて、それが時に交差して流れて離れて…なんというダイナミクス!日々超すごいことが起こっている!と思います。
脈々の中に、確かに自分がいることも。

いるだけでええやんと人には言っておきながら、ついつい役割や肩書きに依ってしまい情けないときに、自分自身が立ち戻れるようこうして文章にしておくこの頃です。