「共に生きる」というと、仰々しく聞こえるでしょうか。
じつに、言うは易く行うは難し。私が出入りしているバザールカフェが、ずっと挑戦していることです。感性が似た人たち、言葉が通じる人たちと共にいるのは易しです。分かりあえない人とこそ、どう共にいるのか。
かつての私は(割と最近まで)、「合わない」人には興味を向けてきませんでした。その人の言葉を話半分に聞いては、しゅるしゅる~っと避けてみたり…。しかし私と「合わない」仲間は、私にこう言うのです。
「はっちゃん(狭間)は、俺とは合わないけど嫌いじゃないよ」
ハッとしました。「合わない」と「嫌いじゃない」は併存するのだ!と。互いの価値観や感性の違い、自然なその「合わなさ」を超えて、なお自分がその人のことをどう感じ、その人とどうありたいと思っているのか、考えてみる。
そうやって何度も立ち止まってみることが、共にいるということと、つながるような。
この言葉を数年前にくれた本人とは現在もバザールで毎週のように会い、私は毎週のように腹がたったり心乱されたりしています。それでもその人のことを気にしている自分の感情に気づいたとき、力が抜けてちょっと嬉しくなるのです。
バザールカフェ店員 狭間明日実
バザールカフェ事務局6年目。日々の営みをとおして、場から起こるもの、個人がのびのびと生きることなどを考えています。 傍らで、地域、福祉、食べることにまつわるいろんな仕事や遊びをしています。 同志社大学社会福祉学科卒業。社会福祉士。海が好き。