西陣のほど近く、北野天満宮の門前に、「下ノ森」という一角がある。北野商店街のアーケードが途切れ、簡素な作りの商店が並ぶこの場所は、なんともユニークな場所の系譜を持っている。
かつて北野天満宮の境内だったこの場所には、明治33年に京都電気鉄道が開通したことにより、その終着駅が置かれた。明治35年の菅原道真千年祭の際には、かねてより計画されていた「神苑」が設置された。千年祭を記録した『千年祭北野会誌』には小川治兵衛の作庭とあるが、本当かは分からない。神苑は多くの香具師が露店を出し、「広告塔」や「軽気球」まで出されたようだ。
さらに、大正3年には、大日本武徳会による武道場「北野武徳殿」が建てられる。こうして下ノ森は祝祭・修養の場となったが、一転、昭和41年になると神苑は閉鎖され、西陣警察署がこの地に移転してくる。武徳殿も平成に入ってから閉鎖され、東山の山上へと移築された。現在の青龍殿である。
警察寮の敷地には現在も北野神苑の設置を記念する碑が建っているものの、立ち入りは禁止されている。もどかしいが、外から見るに留めておこう。失われた光景を眺めるには、きっとそれくらいの距離がちょうどいい。
京都大学文学部地理学専修 重永瞬
地図とまち歩きが好きな大学生。“西陣の端っこ”(お隣?)仁和学区で生まれ育つ。大学で地理学を学ぶかたわら、まち歩き団体「まいまい京都」でスタッフとガイドを務める。なんでもない街角の記憶を掘り起こしたい。古本とラーメンが好き。