西陣にまつわる
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岡田健

光都紙工有限会社 代表兼デザイナー岡田健

西陣の南東?の牛乳屋の息子として生まれ育って五十数年、今は極小印刷会社の代表取締役兼デザイナーです。ウクレレとコーヒーが好きです。

2022.11.14
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祖父と父は写真が好きで、たびたび押入れからはたくさんのプリントやネガが発掘されます。今後この写真などをどうしたものか…私の課題でもあります。
たくさんの写真を整理していると大変興味深いネガが出て来ました。撮影者は不明ですがスキャナにかけて見てみると、うちの町内(2021年7月6日の投稿と同じ場所)で祖母の姉が孫をだっこしてる様子です。何が興味深いのかというと、このフィルムサイズが14mm角の正方形!なのです。
カメラ本体は父が生前「これは値打ちあるから大切にしろよ!」とよく言ってましたのでちゃんと大切に?保管されておりましたが、撮影されたネガを見たことはありませんでした。
撮影年月は1950年頃でしょう。この時代のこんな小さなフィルムとカメラでここまでの情報が写し込まれている…昔の光学技術はとても素晴らしいものであったととても感動した次第。
以前も書きましたが写真や8mm映画(動画)は、今の手軽さからは考えられない程、庶民の趣味としてはぜいたくなものでした。改めて実感しました。

2022.09.03
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今日、9月3日は誕生日なんです。また一つ歳をとりました。高齢の母の介護をしながら自分も高齢者になっていく…なんともいえない気分です。

6月のある日、京都市交通局のホームページで「チンチン電車」のプラモデルが限定発売されるということを知り「これは買わねば!」というわけで購入しました。
数日後、品物が到着し段ボール箱を開けてびっくり!「小さ!細か!」でした。鉄道模型に詳しい方なら分かっていただけると思いますが、もともと小さな電車の150分の1ですからモデルは5cmちょいの大きさ!?です。とにかく拡大鏡やピンセットを駆使して組み上げようと思います。風景も作って完成イメージは「西陣の街並みを駆ける!」ですw。できるかな?もちろん完成したらここで発表できたらいいなぁ…

プラモデルは〝また一つ歳をとった〟私のような者には細かくてハードルの高いホビーではありますが、指先や頭を使うことで推奨されている方もおられるようです。コロナ禍でドールハウスなども注目され、模型店に女性の姿も見かけるようになりました。うまく作れても、失敗してもそれなりに完成の充実感を味わえます。ぼくもおススメします(笑)

2022.06.27
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幼い頃、8ミリ映画を見せてもらうのが楽しみでした。
祖父が凝っていた8ミリ映画はフィルム1本で5分ほどの映像しか撮れず、カメラ、フィルムは勿論、撮影後には現像料金が必要、上映には映写機やスクリーン、編集するには…。非常に贅沢なものでした。けれどそれだけ撮影者の思いが詰まっているように感じます。
昭和30年代の近所の様子や地蔵盆、8ミリ映画のお約束?堀川通を走るチンチン電車、祇園祭や時代祭、叔父・叔母の婚礼、曾祖母の葬儀の様子なども見つかりました。せっかくなのでデジカメで複製してアップロードしようと計画中です。
生前父が「久しぶりに見たい」と言ってましたが、準備が結構大変で、途中で早送りなどできませんし「今度時間があるときにやるから…」などと先送りにしたせいで、その願いをかなえてやれませんでした。父が若い頃の映像や父が祖父を撮った映像も見つかりました。本当に残念です。
スマホをタップしただけで見られる写真や動画、とても手軽なものとなりました。果たして50年後、ぼくの撮ったSDカードに残るデータをこんなふうに楽しんでくれる人はいるのだろうか…そんなことを考えながらしばらくわが家の「映像の世紀」を楽しもうと思います。

2022.04.16
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昭和の頃、下立売通りには夏季(5~9月頃だったと思います)の3日、13日、23日の3が付く日に夜店がでていました。大宮通りから智恵光院通まで普通だと歩いて5分程の距離でしたが、その時間(確か17~20時頃)は通行規制もされ、盆栽、たこ焼、輪投げ、パチンコ、スマートボール、金魚すくい、風船釣りなど、定番のお店がずらりと並んで、幼い頃は3が付く日はとても楽しみでした。その夜店も平成になる頃でしょうか姿を消してしまい、由来などは今もわからぬままです。
学区のことを検索してみましたところ、ある方がその夜店の話を書かれており、その中に昭和25年頃からあったということが記されておりましたが、やはり由来まではわかりませんでした。
後日、下京区にお住まいの方に夜店の話をしましたところ、同じ頃、西洞院通四条上るあたりにも夜店が出ていたそうで、こちらは9の付く日だったそうです。下立売通りとの関連も含めて引き続き調べてみようと思います。

屋台つながりで、二条公園の北にある鵺大明神の脇で金魚すくいの屋台が出ていたことも思い出しました。こちらもどういった経緯で出ていた屋台なのかは不明なのですが、愛想のよいおばちゃんが切り盛りしていたことが記憶に残っています。

2022.03.16
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前回の続きのようですが、西陣の中心あたりは昭和の時代にはとてもにぎわった地域で、千本通り、中立売通り、今出川通りなど、交通の便もよく路面電車も走っていました。もちろんたくさんのクルマやバイクも走っていて、小さなガソリンスタンドもあちらこちらにあったと記憶しています。
「そういえばあそこに小さなガソリンスタンドがあったなぁ…」
季節が移り暖かくなってきたこともあって、空いた時間にブラブラとガソリンスタンド跡地を巡ってみました。
驚いたことに自転車で1時間ほどの範囲にガソリンスタンドが12カ所(営業中の店舗を除く)もあって、跡地にはマンションが8軒、駐車場2軒、戸建て住宅1軒、そのまま活用1軒と姿を変えていました。小さなガソリンスタンドと思っていましたが、マンションが建ってしまうほどの土地が使われていたことにも驚きです。
これからは環境のことも考え、ハイブリッドカーや電気自動車が中心となる世の中になるのでしょう。営業中のガソリンスタンドも減っていくことが想像されます。僕のようなガソリンエンジンの油汚れと匂いが好きなものにとっては寂しい限りです。

2022.02.12
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このコラムを書かせていただくようになり、ネットで「西陣」とよく検索するのですが、パチンコ台メーカーの西陣という会社が検索結果にあがってきます。ぼくはギャンブルには全く縁がなく、西陣というパチンコ関係の会社があるのは知ってはおりましたが、社名の由来まで調べてみることはありませんでした。せっかくなので調べてみると、名古屋のパチンコ台製作の職人集団が群馬・桐生でパチンコ店経営をはじめたことに由来するそうです。西(名古屋)から出陣(群馬)したということで、ぼくたちが知るところの西陣の由来とは全く違いました。

西陣の中心あたりは千本通りや中立売通り、今出川通りがあって、昭和の頃はとても賑わった地域です。飲食、劇場、映画館、ボウリング場まで…もちろんパチンコ店もたくさんありました。十数年前からでしょうかパチンコ店も営業スタイルが変わり、郊外の大型店舗に姿を変え、地域密着型の中小規模のお店はどんどん姿を消しました。上京区のパチンコ店は今や3軒(うち西陣地域には2軒)です。
西陣の娯楽の灯もスマホのゲームやパソコンなどによって消えていくのかと思うと少し寂しく感じます。写真の駐車場もパチンコ店の跡地です。

2022.01.10
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ぼくが小・中学生の頃は、西陣地域にはわりとたくさんの駄菓子屋さんがあったと思います。今の世の中、お菓子のスタイルもすっかり変わり駄菓子屋さんはどんどんなくなってしまいました。

駄菓子屋さんというとお菓子を食べたいから買いに行くということだけでなく、少ないお小遣いを握りしめ、どのお菓子をいくつ買うといくらかとか、明日のために今日はガマンとか…そんなやりくりをしたり、子ども同士集まっていろいろ話をするのも駄菓子屋の楽しさの一つであったと思います。自然と金銭感覚や社交術を身につける場所だったのかもしれません。そしてクジで不正をはたらくやつ、払いをごまかすやつ、盗むやつ…など、やってはいけないことには店主(大抵の場合爺さんか婆さんなんですがw)から容赦無く罰がくだされる…いいことも悪いことも教育される場所でした。

数年前うちの近所に駄菓子屋さんがオープンしました。奥さんの副業とのことで毎日の営業ではありませんが、ご主人と協力してがんばっておられます。開店日にはたくさんの子どもたちで賑わっていて、そんなお店の様子をみていると昔のことが思いだされます。

2021.12.03
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七本松通に52系統の市バスが復活しています。七本松通を中心とした地域の高齢者が公共交通機関を利用しにくい…という要望で復活したそうです。結構狭い七本松通を走るバスは、小さめの車体での運用とはいえなかなかのボリュームです。

もともと52系統は京都駅から北野等持院まで七本松通経由で走っていたと思いますが、渋滞等の問題でしょう、いつの頃か走らなくなっていました。そういえば50系統も千本中立売を西へ走っていましたし、過去に25系統(うろ覚え)が三条京阪から宇多野までの間、丸太町智恵光院から北へ今出川まで智恵光院通を走っていたりしました。

七本松通、中立売通、智恵光院通、市内のそれほど広くない西陣地域の道路に、市バスがぐいぐい走っていたなんて信じられないのですが、そんな時代がありました。今では考えられないほど公共交通機関を必要としていたんですね。

2021.11.03
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小学校3~4年、自転車にもそこそこ乗れるようになった頃、学校から帰ると近所の一つ上の先輩と自転車でよく近所を走りまわっておりました。
ある日のこと、今日はどこに行くかを考えていたところ「千中にものすごい坂道があって、ものすごいスピードが出せるんや!」という先輩の話でそこに行くことになりました。千本中立売から東へ一筋目、南に向けてのあの坂道です。

これ上れるの⁉

麓?から初めて見上げた急な坂道に驚きました。そして向こうに見える繁華街「西陣京極」と書かれた看板の、日中にもかかわらず何やらいいかがわしい雰囲気にも少しドキドキしながら、必死でペダルを漕いで頂上の中立売通りへ。繁華街の方を見る余裕もなく、Uターンして南向きに下った時のスピード感はたまらないものでした。

今となっては地形の成り立ちのほうが気になりますけど、あの坂道を自転車で通るとそんな頃の記憶が思い起こされます。

繁華街の中に入って行くのはもう少し後のことで、また機会があれば書こうと思います。
(^_^;)

2021.10.04
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最近、アコースティックギターを譲っていただきました。うれしくてかき鳴らしていた時、ふと頭を過りました。
「そういえば、西陣の歌って何やろ?」
西陣に地域を限定するとなかなか浮かんできません。リレーコラムのネタとしてはお蔵入りかとあきらめていたら…あったあったありました!
その歌は「千本ラブの歌」。千本通り商店街の歌です。

若い二人にささやく風は カラー歩道のアーケード
ラブの千本足どり軽く 新しい街恋の街
ラブラブラブラブ 千本ラブ

「西陣」というワードは出てきませんけど、歌中のアーケード内スピーカーでヘビーローテーションされていたので、ぼくの頭からはこの年まで、全く消えることがなく刷り込まれています。きっとぼくだけでなく、西陣の同年代の人は口をそろえてこの歌を挙げる…いや歌うんじゃないかな(笑)早速新しいギターで練習したいと思います。ちなみにアーケードはすでに撤去されておりますが、写真のあたりから北へ今出川通りまでありました。

※奇跡的?にYouTubeにローカルバンドの演奏が上がっています。「千本ラブの歌」で検索してみてください。