西陣にまつわる
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岡田健

光都紙工有限会社 代表兼デザイナー岡田健

西陣の南東?の牛乳屋の息子として生まれ育って五十数年、今は極小印刷会社の代表取締役兼デザイナーです。ウクレレとコーヒーが好きです。

2022.04.16
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昭和の頃、下立売通りには夏季(5~9月頃だったと思います)の3日、13日、23日の3が付く日に夜店がでていました。大宮通りから智恵光院通まで普通だと歩いて5分程の距離でしたが、その時間(確か17~20時頃)は通行規制もされ、盆栽、たこ焼、輪投げ、パチンコ、スマートボール、金魚すくい、風船釣りなど、定番のお店がずらりと並んで、幼い頃は3が付く日はとても楽しみでした。その夜店も平成になる頃でしょうか姿を消してしまい、由来などは今もわからぬままです。
学区のことを検索してみましたところ、ある方がその夜店の話を書かれており、その中に昭和25年頃からあったということが記されておりましたが、やはり由来まではわかりませんでした。
後日、下京区にお住まいの方に夜店の話をしましたところ、同じ頃、西洞院通四条上るあたりにも夜店が出ていたそうで、こちらは9の付く日だったそうです。下立売通りとの関連も含めて引き続き調べてみようと思います。

屋台つながりで、二条公園の北にある鵺大明神の脇で金魚すくいの屋台が出ていたことも思い出しました。こちらもどういった経緯で出ていた屋台なのかは不明なのですが、愛想のよいおばちゃんが切り盛りしていたことが記憶に残っています。

2022.03.16
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前回の続きのようですが、西陣の中心あたりは昭和の時代にはとてもにぎわった地域で、千本通り、中立売通り、今出川通りなど、交通の便もよく路面電車も走っていました。もちろんたくさんのクルマやバイクも走っていて、小さなガソリンスタンドもあちらこちらにあったと記憶しています。
「そういえばあそこに小さなガソリンスタンドがあったなぁ…」
季節が移り暖かくなってきたこともあって、空いた時間にブラブラとガソリンスタンド跡地を巡ってみました。
驚いたことに自転車で1時間ほどの範囲にガソリンスタンドが12カ所(営業中の店舗を除く)もあって、跡地にはマンションが8軒、駐車場2軒、戸建て住宅1軒、そのまま活用1軒と姿を変えていました。小さなガソリンスタンドと思っていましたが、マンションが建ってしまうほどの土地が使われていたことにも驚きです。
これからは環境のことも考え、ハイブリッドカーや電気自動車が中心となる世の中になるのでしょう。営業中のガソリンスタンドも減っていくことが想像されます。僕のようなガソリンエンジンの油汚れと匂いが好きなものにとっては寂しい限りです。

2022.02.12
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このコラムを書かせていただくようになり、ネットで「西陣」とよく検索するのですが、パチンコ台メーカーの西陣という会社が検索結果にあがってきます。ぼくはギャンブルには全く縁がなく、西陣というパチンコ関係の会社があるのは知ってはおりましたが、社名の由来まで調べてみることはありませんでした。せっかくなので調べてみると、名古屋のパチンコ台製作の職人集団が群馬・桐生でパチンコ店経営をはじめたことに由来するそうです。西(名古屋)から出陣(群馬)したということで、ぼくたちが知るところの西陣の由来とは全く違いました。

西陣の中心あたりは千本通りや中立売通り、今出川通りがあって、昭和の頃はとても賑わった地域です。飲食、劇場、映画館、ボウリング場まで…もちろんパチンコ店もたくさんありました。十数年前からでしょうかパチンコ店も営業スタイルが変わり、郊外の大型店舗に姿を変え、地域密着型の中小規模のお店はどんどん姿を消しました。上京区のパチンコ店は今や3軒(うち西陣地域には2軒)です。
西陣の娯楽の灯もスマホのゲームやパソコンなどによって消えていくのかと思うと少し寂しく感じます。写真の駐車場もパチンコ店の跡地です。

2022.01.10
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ぼくが小・中学生の頃は、西陣地域にはわりとたくさんの駄菓子屋さんがあったと思います。今の世の中、お菓子のスタイルもすっかり変わり駄菓子屋さんはどんどんなくなってしまいました。

駄菓子屋さんというとお菓子を食べたいから買いに行くということだけでなく、少ないお小遣いを握りしめ、どのお菓子をいくつ買うといくらかとか、明日のために今日はガマンとか…そんなやりくりをしたり、子ども同士集まっていろいろ話をするのも駄菓子屋の楽しさの一つであったと思います。自然と金銭感覚や社交術を身につける場所だったのかもしれません。そしてクジで不正をはたらくやつ、払いをごまかすやつ、盗むやつ…など、やってはいけないことには店主(大抵の場合爺さんか婆さんなんですがw)から容赦無く罰がくだされる…いいことも悪いことも教育される場所でした。

数年前うちの近所に駄菓子屋さんがオープンしました。奥さんの副業とのことで毎日の営業ではありませんが、ご主人と協力してがんばっておられます。開店日にはたくさんの子どもたちで賑わっていて、そんなお店の様子をみていると昔のことが思いだされます。

2021.12.03
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七本松通に52系統の市バスが復活しています。七本松通を中心とした地域の高齢者が公共交通機関を利用しにくい…という要望で復活したそうです。結構狭い七本松通を走るバスは、小さめの車体での運用とはいえなかなかのボリュームです。

もともと52系統は京都駅から北野等持院まで七本松通経由で走っていたと思いますが、渋滞等の問題でしょう、いつの頃か走らなくなっていました。そういえば50系統も千本中立売を西へ走っていましたし、過去に25系統(うろ覚え)が三条京阪から宇多野までの間、丸太町智恵光院から北へ今出川まで智恵光院通を走っていたりしました。

七本松通、中立売通、智恵光院通、市内のそれほど広くない西陣地域の道路に、市バスがぐいぐい走っていたなんて信じられないのですが、そんな時代がありました。今では考えられないほど公共交通機関を必要としていたんですね。

2021.11.03
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小学校3~4年、自転車にもそこそこ乗れるようになった頃、学校から帰ると近所の一つ上の先輩と自転車でよく近所を走りまわっておりました。
ある日のこと、今日はどこに行くかを考えていたところ「千中にものすごい坂道があって、ものすごいスピードが出せるんや!」という先輩の話でそこに行くことになりました。千本中立売から東へ一筋目、南に向けてのあの坂道です。

これ上れるの⁉

麓?から初めて見上げた急な坂道に驚きました。そして向こうに見える繁華街「西陣京極」と書かれた看板の、日中にもかかわらず何やらいいかがわしい雰囲気にも少しドキドキしながら、必死でペダルを漕いで頂上の中立売通りへ。繁華街の方を見る余裕もなく、Uターンして南向きに下った時のスピード感はたまらないものでした。

今となっては地形の成り立ちのほうが気になりますけど、あの坂道を自転車で通るとそんな頃の記憶が思い起こされます。

繁華街の中に入って行くのはもう少し後のことで、また機会があれば書こうと思います。
(^_^;)

2021.10.04
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最近、アコースティックギターを譲っていただきました。うれしくてかき鳴らしていた時、ふと頭を過りました。
「そういえば、西陣の歌って何やろ?」
西陣に地域を限定するとなかなか浮かんできません。リレーコラムのネタとしてはお蔵入りかとあきらめていたら…あったあったありました!
その歌は「千本ラブの歌」。千本通り商店街の歌です。

若い二人にささやく風は カラー歩道のアーケード
ラブの千本足どり軽く 新しい街恋の街
ラブラブラブラブ 千本ラブ

「西陣」というワードは出てきませんけど、歌中のアーケード内スピーカーでヘビーローテーションされていたので、ぼくの頭からはこの年まで、全く消えることがなく刷り込まれています。きっとぼくだけでなく、西陣の同年代の人は口をそろえてこの歌を挙げる…いや歌うんじゃないかな(笑)早速新しいギターで練習したいと思います。ちなみにアーケードはすでに撤去されておりますが、写真のあたりから北へ今出川通りまでありました。

※奇跡的?にYouTubeにローカルバンドの演奏が上がっています。「千本ラブの歌」で検索してみてください。

2021.09.04
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7月に父が亡くなりました。うちは仏教で、例にならってお寺さんにお願いし“戒名”をつけていただきました。この世に生を受けたときは戒名とは違い、大抵の場合親や親類縁者が頭を絞って考えることになります。人気タレントの名前を拝借したり、最近ではキラキラネームといって、何と読むのかわからないような名前をつけるのがはやっている?ようです。もちろんお寺や神社の姓名判断も例外ではなくて、ぼくが生まれたときは堀川一条の晴明神社で姓名判断をお願いしたようです。
「人生一代之運命鑑定書」裏面候補の中で一字の名前を選んだと、生前父が話していたことを思い出します。西陣地域では長男が生まれたら晴明神社にお願いして名前をつけてもらうのがお約束…なんて聞いたこともあります。
岡田 雅文 晃行 泰征 篤治 健
陰陽師・安倍晴明ゆかりの神社でつけてもらったということで、今となっては満足しています。あ!昨日3日が誕生日でした。

2021.08.05
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僕の幼い頃から高校くらいまでの記憶で、うちの近所には3軒の造り酒屋がありました。2軒は廃業され、今でも残る1軒は皆さんご存知の佐々木酒造です。よい水が出た西陣は他にも酒造関連の会社がいくつかあったと思われ、この写真の場所も古い地図を見ると造り酒屋であったようです。
駐車場となったこの場所に造り酒屋や酒蔵の面影は全くありませんが、連絡先の管理会社名に酒造関連であった痕跡をひっそりと残していました。こういうのを見つけたときはちょっと嬉しい気持ちになります(笑

2021.07.06
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高校に入った年の夏、父が「町内で撮影するから牛乳屋の看板を3日程外させてくれと言ってきたわ!」。その話を聞いた時、何のことかあまりピンと来なかったのですが、その日が近づくにつれとんでもない人がロケにくるということがわかりました。その年をもって引退するという山口百恵さんが最後の映画「古都」の撮影が町内で行われるというのです。京都が舞台となった川端康成原作の物語、主人公の家の前のロケ地としてうちの町内が選ばれたようです。
それからは町内の同級生と授業をいかにさぼって、どこでどう見るかを必死で考えました。撮影は2日間で確か土・日曜日の朝であったと記憶しており、土曜日は学校に行かず、ロケ場所となった家の真正面で待機しました。引退間近の百恵ちゃんはもちろん、ロケ2日目の早朝は道路に塩を撒いて煙幕を焚き冬の朝もやを作り出す様子など、映画の撮影という見たことも無い現場を目の当たりにしてとても興奮したことが思い出されます。

ロケ場所は今では見る影もありません。作品中の古い京都の町並みはどんどん失われつつあります。けれど映画の中にわずかに映る実家やその周辺の景色はぼくの幼い頃の西陣の記憶そのものです。物語には祇園祭も描かれており、毎年この時期になると懐かしく思い出されます。