西陣にまつわる
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益田雪景

ライター益田雪景 オサノート

広島県出身。同志社大学在学中。大学ではボランティア支援室学生スタッフARCO及び新島塾2期生としても活動中。小説家は太宰治と遠野遥、映画は「劇場」と「ミッドナイト・イン・パリ」、音楽はgo!go!vanillasとB T Sが好きです。

特集 WALK

西陣のキホンのキ!

第4回 京町家を思う     *京町家が並ぶ風景   「西陣のキホンのキ!」連載最後のテーマは「京町家」についてです!   京都といえば、町家が立ち並んでいる風景を思い浮かべる方が […]

WALKぶらニシまち歩き西陣
2023.02.15
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京都を一旦離れることになった。一旦、と言っても離れている間に何度も京都を訪れるだろうし、驚かれるほどすぐに戻って来る可能性だってある。確かなのは、いつかまた必ず京都で暮らす意思があることと、京都の「怠惰さ」が僕の意思を全力で支えてくれると信じていることだ。国語辞典は「怠惰」であることを的確に罵っているけれど、それはきっと「怠惰」であることを渇望するが故に起こる転倒だと思う。
みんな怠惰に生きたいと願っている、と言うと傲慢過ぎる主張だけれど、僕の知る限り、京都が好きで京都暮らしをしている人たちは怠惰で、豊かだ。
平安京に遷都してから育まれてきた文化も、花鳥風月の移ろいに全てを委ねているから「怠惰」だ。花の盛りだけではなく、枯れていく光景にまで美しさを延長してしまうなんて、時間がかかり過ぎている。あるいは時間なんてものはなく、花が咲いて、枯れるまでが「時間」なのかもしれない。つまり、国語辞典は花を眺めたことがないのだと思う。ともすれば、僕は彼に花を見せてあげたいし、彼と一緒に京都中を歩いてみたい。その夢だけでも花に見立てて、心の池にそっと浮かべて、京都を離れることにする。

2022.12.03
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紅葉の季節に雨が降って、冬の景色に一歩近付くと、ほんの少しだけ切なくなる。雨後はそもそも寒くなるし、夜は生活の熱気が冷めるし、冬って感じのそっけない風が吹く。サンダルで外に出ようものなら、悲鳴がくるぶしに集結して、無音で「さ」と「む」を口にする。近くに誰もいなければ「さ」と「む」に音が付与される。
まだ紅葉が盛んだったときに、最寄りの公園を歩いていると、葉っぱが赤すぎて怖いと思った。毒々しいとも思った。こんな感覚になるのは初めてだったけど、もしかしたらこんな感覚になってもおかしくはないのかもしれないとも思った。先祖がまだ狩猟生活をしていた時代はきっと冬が怖くて、その怖さは越冬できるかどうか分からない不安から来るもので、秋の訪れを告げる赤い葉っぱの群れはその不安に拍車をかける存在だと考えたからだった。冬に対する恐怖がDNAに刻まれているに違いないと考えたからだった。でも先祖が紅葉によって不安に苛まれていたかどうかはわからない。本当は現代と同じように紅葉狩りをしていたかもしれない。実際陽光を浴びた紅葉を、その裏側から見ているときは心地良い。

2022.09.21
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街に対して抱くイメージは、そこへ行くと壊れたり、輪郭が太くなったりする。先日西陣でお昼ご飯を食べる機会があって、食後に辺りをぶらぶらと歩いた。黒い物体に陽光が当たると瞬く間にその物体に熱が籠るような時間帯だったので、ぶらぶらしなければよかったと思った。しかしぶらぶらし続けたということは結局西陣をゆっくり歩きたかったということだ。
歩いていると、夏が鋭く響いていた。尖った夏の隙間を縫うようにして、ガタゴトと音が聴こえてくる。最初は何の音か、どこから聴こえてくるのかも分からなかった。でもいつからか、柔らかさと重さを併せ持つ音が、硬くて湿った夏の音を完全にはねのけている。その時、西陣のイメージ、つまり西陣織という伝統工芸の街としての印象が、頭の中で肥大化して、だんだんと色が濃くなって、音に対する疑問が止まる。その音の正体を明かしたい気持ちが汗と一緒に散っていく。やがてガタゴトという音は夏にすっかりかき消される。ぶらぶらとするのをやめ、自転車に乗って帰路につく。
西陣の街は、いつ歩いても音で満ちている。そんな気がする。それは西陣の音であって、どの街にも共通している「何か」ではない。

2022.05.16
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僕はUSJの話をしているとUSJに行きたくなるし、平家物語の話をしていると寂光院に行きたくなる性分だ。先日、友人とパンの話をした。正確には、美味しいクロワッサンを食べたいという友人の願望をひたすら聞いていた。ので、パンが食べたくなり、大正製パン所を訪れ、いくつかパンを買った。もちろん、クロワッサンは一番最初にトレーに乗せた。と思う。
大正製パン所といえば、このコラムを読んでいる人ならきっと知っている人も少なくはない老舗のパン屋さんだ。千本今出川の交差点からほど近いところにあって、緑色の看板が店前に立っている。赤い文字で描かれた「大正製パン所」の下には、緑色の「創業大正八年」が並ぶ。
大正八年は、西暦に直せば1919年であり、調べたところによるとカルピスが販売された年らしい。実はカルピスと同い年のパン屋さんが西陣にあって、とても美味しいから行った方がいい。という伝え方で誰かにおすすめすれば、その誰かは老舗のパン屋さんかカルピスに興味を持ってくれるに違いない。あるいは、ここのパン屋さんはカレーパンが美味しくて、カルピスとの相性が抜群なんだ、と熱心に語れば、どうなってしまうのか見てみたい。

2022.03.26
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堀川丸太町の大きな交差点をちょっとだけ北上して一つ目の曲がり角で方向を西に変えると、年季の入った町家の多く並ぶ小路が真っ直ぐに伸びている。その小路をゆっくりと進んでいくと、右手側に見えてくるのは『京都夜遊』のネオンライトと色とりどりの展示物。木造二階建ての町家を改装してつくられたMagasinn Kyoto(マガザンキョウト)は、泊まれる雑誌として様々な文化の発信拠点になっている。そこに今、大好きな映画のひとつである『逆光』の監督・主演を務めた須藤蓮さんが、3月25日からの『逆光』出町座公開に向けて、長期滞在しているというので、思い切って会いに行ってみた。
そして、ひょんなことから『逆光』の宣伝活動を手伝うメンバーの一人になり、マガザンキョウトを拠点としながら、京都中を自転車やバス、徒歩で動き回り、たくさんの人やお店と出会い、作品の魅力を伝えようと奔走している。半年前では想像していなかったような活動を通して、知っている場所だけでなく、知らない場所でも人と人がつながっていくことのできる京都という街の素敵さを痛感した。この素敵さの虜になったら、京都の街から離れることなど叶わない。

2022.02.22
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この冬は何度も雪が降りましたが、常に寒さに身体を震わせ、皮膚が外気に触れないようにできるだけ多くの布を纏い続けたのは、僕自身京都に来てから初めてのことだと思います。一方で、冬が本気を出せばたちまち極寒に見舞われる碁盤の目状の古都にたくさん存在する銭湯では、衣服の代わりに大量のお湯が身体を包んでくれるので、芯から温まる。という状況を求めて、先日、僕は船岡温泉を訪れました。
僕が行ったのは開業直後の時間帯でしたが、すでに多くの方が来ていて、屋内の浴場は賑わっています。しかし、裸婦の石像が佇む露天風呂は誰も入っていなかったので、僕はそこに浸かることにしました。木製の浴槽にゆっくりと注がれるお湯、波の静かに立つ湯面とその下で揺れる身体の輪郭をぼんやりと眺める。そんな贅沢な時間を過ごしました。その間、裸婦の石像は湯船と出入り口をつなぐ石畳をじっと見つめていました。僕と違って、石像は汗ひとつかいていなかったので、おそらく外気に凍えていたのかもしれません。皆様も、寒くて石像のように身体が固まってしまったら、ぜひ船岡温泉を訪れてみてはいかがでしょうか。きっと芯から溶けていきます。

2021.12.10
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もうすっかり寒くなってしまいましたが、まだ寒さが厳しくなかった先日、友人と北野天満宮に行って、紅葉を観てきました。実は、京都に来て、初めての北野天満宮でした。家からもそんなに遠くはなく、行こうと思って約2年が経ってしまっていました。京都で学生生活を始める前は、毎週のように寺社仏閣を訪れるんだろうと想像していたのですが、来てみれば、そんなことはなく、というよりも、僕が思い描いていた通りに行動していないのが悪いのかもしれませんが、とにかく、観光のための場所ではなく、生活する街に常に存在する場所として、北野天満宮を認識するようになっていました。贅沢な心境変化です。
さて、いつかのコラムで書いたかもしれませんが、今月は少し余裕があるので、西陣にある銭湯に行ってみようと思っています。銭湯も、行こうと決めて、数ヶ月が経ってしまいました。なかなか行動に結びつかないのは僕の悪い癖です。まずは船岡温泉を攻めていこうと思います。
ここまでかなり無内容なコラムを書いてしまいましたが、来月は銭湯コラムにするつもりなので、もう少し面白く書けると思います。よろしくお願いします。

2021.11.10
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先日、京町家なんでも応援団さんが主催しているふれたす企画に参加しました。今回は紫野にある岩井木材さんの町家清掃のお手伝いをして、僕は主に町家に保管されている材木を近くの倉庫に運ぶ作業で汗を流しました。翌日からは筋肉痛に襲われ、特に肩周りが悲鳴をあげていました。
京町家なんでも応援団さんの実施している町家清掃に参加するのは今回で2回目だったのですが、1回目と同様、主催者の皆様、そして京町家を受け継いで来られた方々のお話からひしひしと伝わってくる志に感動しました。どの街でも共通していることかもしれませんが、その街を愛する人がいて、その愛を継承していく人がいるというのは本当に素敵だと思います。僕は大学生になってから京都にきましたが、継承していく役目を担うのは勝手ながら僕なんじゃないかと思うくらい、今住んでいる街への愛が日々深まっています。今回の企画参加を通して、愛の深まりを再認識させられました。
そして何よりも、僕は京町家が好きなのかもしれません。京町家といっても、さまざまな種類の造りになっていることを今回知り、街歩きの楽しみ方が一つ増えました。歩き過ぎて筋肉痛にならないように気を付けます。

2021.10.11
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最近、すっかり秋の涼しさを感じられるようになりました。京都の秋といえば、やっぱり荘厳な寺社仏閣と、境内に生える樹々が紅く染まった光景だと僕は思っています。京都に来てから約2年経ちましたが、どこを訪れても絵になってしまっているのが、怖いくらいです。
さて、今回は「まるごと美術館」について勝手に書いてみたいと思います。僕は昨年の秋に初めて、「まるごと美術館」にボランティアとして参加しました。ご存知の方もいるかもしれませんが、簡潔に述べると、このイベントは寺社仏閣と芸術が融合した展覧会です。昨年、僕は妙覚寺と妙蓮寺でお手伝いさせていただいたのですが、お寺で芸術を鑑賞するのは、とても新鮮な経験で、欲を言えば、その場で半永久的に呼吸をし続けられたらなあと思いました。境内に映える自然を鑑賞するのもよし、展示されたアート作品と格闘するのもよし、お寺の御本尊をじっくりと眺めるのもよし…… 「〇〇の秋」とよく言われますが、◯◯に入る言葉が全て詰まったような、素敵な美術館が期間限定で西陣界隈に出現します。聞くところによると、今年も開催する予定だそうなので、今年の秋の思い出に、訪れてみてはいかがでしょうか。

2021.09.10
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「蜂蜜」をただミツバチが採集した「花」の蜜としたり、くまのプーさんの大好物と捉えることに間違いはないかもしれないし、実際に僕も、蜂蜜は「花」の蜜で出来ていて、くまのプーさんがその蜜を愛してやまないと知っていた。でも、蜜を育む花を、単に「花」とだけ捉えるのはもったいないと言っていい。「百花繚乱」という言葉からも分かる通り、幾多もの「花」が世界で美しく咲いているからだ。
僕の好きな作家である太宰治は『女生徒』という作品の中で「花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間」であると書いた。「花」は、色とか、形とか、匂いとかによって、とにかく多様な分類をされている。そこで僕は考えた。もし本当に太宰の言う通りなのであれば、いろいろな花に由来する蜂蜜にもそれぞれの美しさや愛しさがあるのではないだろうか、と。
さて、ここまで「花」と「蜂蜜」についてだらだらと書いてしまったが、僕がこのコラムで伝えたいことは、ただ一つしかない。それは、西陣にある「蜂蜜専門店ドラート」に訪れてみてほしいということだ。そこに行けば蜂蜜の多様な美しさや愛しさに触れることができるだろう。