西陣にまつわる
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西陣にまつわる人々が、綴るコラムCOLUMN

2022.05.23
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西陣の木は手招きをするらしい。
新大宮商店街を歩いていた時のこと。ふと街路樹を見やると、木から「手」が生えていた。手袋が木にかけられているのだろうか。それにしてはずいぶんと木に馴染んでいる。おいでおいでと手招きされ近寄ってみたが、近くで見ても区別がつかない。裏側を覗いてやっと、手袋だという確信を持つことができた。
もとは単に引っかけられていただけの手袋。月日が経つにつれ、コケだか地衣類だかに覆われ、徐々に木と一体化していく。ああ、これは街と同じだな、と思った。
新しい街にすぐに馴染むのは難しい。それでも、長くいれば否が応でもその街に染まっていく。気付けば、街の一部になっている。
西陣に来たばかりという人も、じきに「西陣の人」になってゆく。そのうち、どこかで手招きをしているかもしれない。西陣においで、と。

重永瞬

京都大学文学部地理学専修 重永瞬

地図とまち歩きが好きな大学生。“西陣の端っこ”(お隣?)仁和学区で生まれ育つ。大学で地理学を学ぶかたわら、まち歩き団体「まいまい京都」でスタッフとガイドを務める。なんでもない街角の記憶を掘り起こしたい。古本とラーメンが好き。

2022.05.22
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オサノートという名前は西陣織の道具、筬(おさ)ノート(音)からきているそうだ。
一年間書いて最後の今回は西陣の音について書きます。

僕はたしかに音を出しに西陣に来た。90年代の中頃、西陣の染物屋の二階で所謂セッションをするためにギターを持って初めて西陣に来たのだ。
憶えいるのが、ギターと打ち込みの音と混ざった染物の機械の音。
演奏が終わり、うどん屋の出前で丼を頼んだ。
その場所は、たぶん今住んでいるところの近所なのだろうが染物屋もうどん屋も、その時録音した音源もいまだに見つけられない。

数年後、真夏の暑い日にまたギターを持って西陣を訪れた。今度は募集に来た人と演奏をするためである。
ドラマーでヴォーカリゼーションというものにも興味があるというその巨漢の男の部屋で机やグラスを叩いた音にギターをつける。
続いて巨漢から奇声。ヴォーカリゼーションというものなのだろう。
すぐに近所からの苦情で隣の神社に追い出され、そこで蚊に刺されながらギターを弾いた。羽虫の音と木のパーカッションとギターの音。

僕だけでなく、90年代の鬱屈した若者(一部だろうが)は即興で音楽を演奏する事を好んだ。混沌とした中になにか方向性が見えるのが面白かったのだと思う。
僕自身はその後、演奏はあまりしなくなり、CDのジャケットやチラシなどに絵を描いていた。

来週、東京に行く。そんな感じでミュージシャンになった友人の音楽スタジオを手伝うつもりなのだ。
楽器や機材は運び込むが、具体的になにをするのか全く考えていない。
ただ、そこで作られる音楽は綺麗にパッケージされていくとしても、染物屋や神社で出た音と本質的にはあまり変わらないと思っている。

読んでくれてありがとうございました。
また、西陣のどこかでお会いしましょう。

景井雅樹

版画家 景井雅樹

京都の版画工房で銅版画を始める。 2006年頃より、毎日の出来事をノートに青いボールペンで描く絵日記形式の作品を作り始める。 一日1ページで現在4000ページほど。まだ毎日描いている。 コーヒーと自転車と音楽の愛好家。

2022.05.18
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4月に鹿児島の実家に引っ越した知人が、ひと月経たない内に京都が恋しくなり好文舍へ寄ってくれました。リラクゼーションの仕事をされていて、鹿児島と京都の2拠点生活が目標との事です。すぐに実現は難しいかもしれないですが、リラクゼーションだけでなくても何かと掛け合わせてイベントなどして、将来の仕事に繋がることが出来たら良いねと彼女と話をしていました。

 

西陣エリアにはユニークな活動をしている個人やお店が多いので、せっかくなので横のつながりを作って、みんなで地域の魅力を外へ発信できればなあと思っています。そういう訳ですので、読者の皆様の中で素敵なアイデアをお持ちの方がいらっしゃれば教えていただけると嬉しいです。

 

ところでその知人ですが、京都で何をして過ごしているのか尋ねると、お寺で写経しているらしく、きっと功徳を得て彼女には明るい未来が待っていることと思います。

宇野貴佳

好文舎店主 宇野貴佳

油小路の路地奥でギャラリー喫茶を運営しています。 目立たない店が故か、ちょっと個性的なお客様が多いように感じています。 ここでの出会いを中心に、見聞きしたあれこれをお話しできれば幸いです。

2022.05.16
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僕はUSJの話をしているとUSJに行きたくなるし、平家物語の話をしていると寂光院に行きたくなる性分だ。先日、友人とパンの話をした。正確には、美味しいクロワッサンを食べたいという友人の願望をひたすら聞いていた。ので、パンが食べたくなり、大正製パン所を訪れ、いくつかパンを買った。もちろん、クロワッサンは一番最初にトレーに乗せた。と思う。
大正製パン所といえば、このコラムを読んでいる人ならきっと知っている人も少なくはない老舗のパン屋さんだ。千本今出川の交差点からほど近いところにあって、緑色の看板が店前に立っている。赤い文字で描かれた「大正製パン所」の下には、緑色の「創業大正八年」が並ぶ。
大正八年は、西暦に直せば1919年であり、調べたところによるとカルピスが販売された年らしい。実はカルピスと同い年のパン屋さんが西陣にあって、とても美味しいから行った方がいい。という伝え方で誰かにおすすめすれば、その誰かは老舗のパン屋さんかカルピスに興味を持ってくれるに違いない。あるいは、ここのパン屋さんはカレーパンが美味しくて、カルピスとの相性が抜群なんだ、と熱心に語れば、どうなってしまうのか見てみたい。

益田雪景

ライター 益田雪景 オサノート

広島県出身。同志社大学在学中。大学ではボランティア支援室学生スタッフARCO及び新島塾2期生としても活動中。小説家は太宰治と遠野遥、映画は「劇場」と「ミッドナイト・イン・パリ」、音楽はgo!go!vanillasとB T Sが好きです。

2022.05.14
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2022年 春
妙蓮寺の桜が綺麗だったので
夜、特別に撮影させて頂き感謝でした

コラムの内容が思いつかないので
写真でお楽しみください(^^;

林亮

タクシー運転手 林亮

2019年にまるごと美術館を知り、夜間拝観にお客様をお連れし、その時頂いた福銭の5円玉がご縁を呼んで 西陣、上京区の 沢山の方々と繋がる事が出来ました。 日々 自分地元はもちろん 西陣、上京区を応援してます。

2022.05.11
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新緑真っ盛りのシーズンがやってきています。皆さんは、普段新緑をゆっくり見てみよう思うようなことはありますか?紅葉や桜などに比べて、新緑は意外と見過ごされがちじゃないかなぁと、個人的には思っています。でも新緑、すごく好きです。紅葉や桜は見れる期間が短いし、雨や風ですぐに落ちて見頃が終わってしまうけど、新緑の期間は長いし、雨や風でも落ちません。むしろ、雨にはより映えます。あと、紅葉は葉っぱの寿命が終わりを迎える時なので、真っ赤になったときはきれいだけど、だんだん色がくすんでいくし、個人的には見ていて寂しい気持ちもします。でも新緑はどんどん緑が濃くなっていって、生命の力を感じるので見ていて元気や日々の活力がもらえる気がするんです。なので、完全に僕の主観ですけど、是非皆さんも近所でいいので、紅葉を見にぶらっとしてみてはいかがでしょうか?西陣にはお寺や公園も多く、船岡山なども近いので、様々な種類の新緑を愉しめますよ!

南知明

上京ちず部 副部長 南知明

鴨川近くで生まれ、幼い頃から近くの上京区の商店街の店主の方々に見守られ育つ。現在は「まいまい京都」商店街食べ歩きツアーなどのほか、地理好きを活かし、「上京ちず部」副部長など、上京区全般で活動。本業は宿泊業。京都観光おもてなしコンシェルジュ。

2022.05.09
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こんにちは、〈みよしの〉です。

遡ること、ひと月ちょっと。
地下鉄今出川駅近くでの所用を終え、好天に誘われプラプラ歩いていると

烏丸通から西に入った道で工事があり、片側に身を寄せたちょうど目線の先に「Bazaar Cafe」とランチのメニュー……

バザールカフェ……?
ひょっとして、ここはオサノートのコラムでお見かけするお店?

2時間前に朝食を済ませた事もすっかり忘れ、迷う事なく本日のランチを頂きました。

タイのチキンのランチ。
私好みのカリッとした炒め具合、レモン風味も爽やか~。
一口で無理なく頂けるサイズもおちょぼ口の私にピッタリ(オホホホww)

それにしても
ここら辺り結構歩いているのに全く意識した事なかったなぁ~。
街中にいてこの解放?開放?感。
お庭の端にも、ボールが無造作に転がっていたり。

このご時世、どこへ行ってもソーシャルディスタンスだけど、こちらはパンダちゃん1匹分。
へー、と面白くて後で検索したら大きいパンダは本当に体長2メートル近くでした。

今度またテラス席でゆっくりしたいな。
でもさすがに夏場はカンカン照り。
屋根の上には追加でトトロの葉っぱの傘100枚ほど(足りる?)……お願いしますww

みよしの

みよしの

よもや、よもやの50代。 "西陣''の軒下にて30余年、ひっそりと暮らす地方出身者。 15万円入りの封筒を2度も!落とす令和のうっかり八兵衛。

2022.05.07
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こんにちは、森賀です。こないだまで3月だったのが、気がつけばもう5月で。僕も3回生から4回生になりました。なので、以前よりも「これからのこと」について考える時間が増えたように感じています。どんな仕事がしたいか、できるのかはもちろんのこと、どこを拠点に生活をしていたいのかを常に考えるようになりました。特に住む場所、地域については深く考えることが多くなりました。これまでの京都の生活の中で。1年間ほどを西陣で生活してきました。京都生活の3年間分の1年間を西陣で過ごしてきて、面白い人がたくさんいて、僕にとって居心地のいい西陣から離れたくないなと。地元から離れた土地にこんなにも愛着を感じるようになるとは4年前は考えられなかったです。京都は観光地で、僕は「よそ者」で。ところが、今は西陣のコミュニティの中にいて、「西陣にいる人」で。すごく充実した京都生活になっています。それに、僕のこれからを心配してくださる人や応援してくださる人が多くいて、受け取るだけではなくて、お返ししていきたいとも思っています。感謝はもちろんで、僕が別の誰かを支えられる力をつけたいです。

森賀優太

京都産業大学 学生 森賀優太

京都産業大学在学中。ある日を境に西陣に迷い込み、いつの間にか居着いた大学生。人との関わりを通して、伝統的な文化や歴史と新しい暮らしのある西陣に惚れる。そろそろ西陣に住むことを画策している様子。

2022.05.04
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【路地の魅力と注意点】
西陣に限らず京都の旧市街エリア全般に言えることだが、路地が大変多い。「路地」というものの定義があるのかはわからないので、ここで言う路地とは「公道に面していない、建物の全面通路の幅員が3m未満のもの」としておく。
現在では建物を新しく建てる時には「幅員4m以上の建築基準法上の道路に2m以上接していること」というきまりがある。なので、路地沿いに建つ建物は基本的には再建築することはできない。このことが京都の路地空間を継承してきた要因とも言えるかもしれない。
路地が発達した理由はいろいろあると思うが、京都の土地の割り方は「ウナギの寝床」と言われるように細長く、道路に面した部分に家が建ち、奥は畑などにして野菜などをつくていたのだが、都市化がすすんで市場が発達してくると畑として使う必要がなくなった。なので、土地の活用方法として住宅を建てて貸していた。賃貸物件なので当然あまりお金はかけず、簡素なものが多い。表に建つ家の裏に建て込んで建てられるのであまり日当たりや風通しもよくはないケースが多い。しかし一方で、石畳が敷かれ、採光や風通しに配慮された路地を見ると「京都だなあ」と思う。

赤澤 林太郎

都市企画家 赤澤 林太郎

町家を中心に、既存物件の活用を提案しています。

2022.05.02
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二度と行けないあの店で:西陣亭

人間には大きく分けて2種類あると聞くが、僕は、いわゆる「町中華」と呼ばれる中華を好む種類の人間であるようだ。満漢全席のような高級中華でもなく、香辛料がふんだんに使われるいかにも本格的な中華でもない。おじいちゃんが1人でフライパンを振っている中華だ。まさに日本的な味付けがなされている中華屋で2〜3品の料理と瓶ビールをいただく。これぞ「町中華」を堪能する極意なのである。

今出川通りから智恵光院通りを南下していると、左手の方に、伝説の中華屋があった痕跡が見えてくる。その名も「西陣亭」。日に焼け薄れてしまった黄色いひさし(キノピーというらしい)にしっかりと赤い文字で店名が記された西陣亭。多くを語らないそのたたずまいこそ、誰もが憧れる中華の名店の姿そのものだ。

しかし、僕が西陣亭の存在を知ったのは、亭主が老齢のため閉店となった後だった。僕は西陣亭の歴史の痕跡を眺めることしかできない。店内に満ちたニンニクの香り、フラパンの上で食材が踊る音、グラスに注がれた黄金の酒に浮かぶ白い泡、炒められた米たちのツヤ、常連客たちが交わすどうでもいい会話。これらの小さな幸せを、僕は味わうことができない。

人間には必ず終わりがあるように、永遠に続くお店はない。明日、大好きなお店に行ってみると、そのお店はなくなっているかもしれない。だからこそ僕は、幸せを受け取ることができる間に、大好きなあのお店へ二度と行けなくなる前に、お店を、人を、京都をたくさん愛さねばならない。

大成海

綴り手/探り手 大成海

2000年広島県広島市生まれ。京都在住。もの書きとデザイン。 本と映画と音楽と酒をこよなく愛す。本屋や出版社などいくつかの場所で働き、稼いだお金は本と映画と音楽と酒に消えてゆく。気の向くままに散文を書いたり、デザインをしてみたり。いつでも大好きな瓶ビールが飲めるようにと、携帯栓抜きを鍵につけて常に持ち歩いている。