西陣にまつわる
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西陣にまつわる人々が、綴るコラムCOLUMN

2022.05.07
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こんにちは、森賀です。こないだまで3月だったのが、気がつけばもう5月で。僕も3回生から4回生になりました。なので、以前よりも「これからのこと」について考える時間が増えたように感じています。どんな仕事がしたいか、できるのかはもちろんのこと、どこを拠点に生活をしていたいのかを常に考えるようになりました。特に住む場所、地域については深く考えることが多くなりました。これまでの京都の生活の中で。1年間ほどを西陣で生活してきました。京都生活の3年間分の1年間を西陣で過ごしてきて、面白い人がたくさんいて、僕にとって居心地のいい西陣から離れたくないなと。地元から離れた土地にこんなにも愛着を感じるようになるとは4年前は考えられなかったです。京都は観光地で、僕は「よそ者」で。ところが、今は西陣のコミュニティの中にいて、「西陣にいる人」で。すごく充実した京都生活になっています。それに、僕のこれからを心配してくださる人や応援してくださる人が多くいて、受け取るだけではなくて、お返ししていきたいとも思っています。感謝はもちろんで、僕が別の誰かを支えられる力をつけたいです。

森賀優太

京都産業大学 学生 森賀優太

京都産業大学在学中。ある日を境に西陣に迷い込み、いつの間にか居着いた大学生。人との関わりを通して、伝統的な文化や歴史と新しい暮らしのある西陣に惚れる。そろそろ西陣に住むことを画策している様子。

2022.05.04
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【路地の魅力と注意点】
西陣に限らず京都の旧市街エリア全般に言えることだが、路地が大変多い。「路地」というものの定義があるのかはわからないので、ここで言う路地とは「公道に面していない、建物の全面通路の幅員が3m未満のもの」としておく。
現在では建物を新しく建てる時には「幅員4m以上の建築基準法上の道路に2m以上接していること」というきまりがある。なので、路地沿いに建つ建物は基本的には再建築することはできない。このことが京都の路地空間を継承してきた要因とも言えるかもしれない。
路地が発達した理由はいろいろあると思うが、京都の土地の割り方は「ウナギの寝床」と言われるように細長く、道路に面した部分に家が建ち、奥は畑などにして野菜などをつくていたのだが、都市化がすすんで市場が発達してくると畑として使う必要がなくなった。なので、土地の活用方法として住宅を建てて貸していた。賃貸物件なので当然あまりお金はかけず、簡素なものが多い。表に建つ家の裏に建て込んで建てられるのであまり日当たりや風通しもよくはないケースが多い。しかし一方で、石畳が敷かれ、採光や風通しに配慮された路地を見ると「京都だなあ」と思う。

赤澤 林太郎

都市企画家 赤澤 林太郎

町家を中心に、既存物件の活用を提案しています。

2022.05.02
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二度と行けないあの店で:西陣亭

人間には大きく分けて2種類あると聞くが、僕は、いわゆる「町中華」と呼ばれる中華を好む種類の人間であるようだ。満漢全席のような高級中華でもなく、香辛料がふんだんに使われるいかにも本格的な中華でもない。おじいちゃんが1人でフライパンを振っている中華だ。まさに日本的な味付けがなされている中華屋で2〜3品の料理と瓶ビールをいただく。これぞ「町中華」を堪能する極意なのである。

今出川通りから智恵光院通りを南下していると、左手の方に、伝説の中華屋があった痕跡が見えてくる。その名も「西陣亭」。日に焼け薄れてしまった黄色いひさし(キノピーというらしい)にしっかりと赤い文字で店名が記された西陣亭。多くを語らないそのたたずまいこそ、誰もが憧れる中華の名店の姿そのものだ。

しかし、僕が西陣亭の存在を知ったのは、亭主が老齢のため閉店となった後だった。僕は西陣亭の歴史の痕跡を眺めることしかできない。店内に満ちたニンニクの香り、フラパンの上で食材が踊る音、グラスに注がれた黄金の酒に浮かぶ白い泡、炒められた米たちのツヤ、常連客たちが交わすどうでもいい会話。これらの小さな幸せを、僕は味わうことができない。

人間には必ず終わりがあるように、永遠に続くお店はない。明日、大好きなお店に行ってみると、そのお店はなくなっているかもしれない。だからこそ僕は、幸せを受け取ることができる間に、大好きなあのお店へ二度と行けなくなる前に、お店を、人を、京都をたくさん愛さねばならない。

大成海

綴り手/探り手 大成海

2000年広島県広島市生まれ。京都在住。もの書きとデザイン。 本と映画と音楽と酒をこよなく愛す。本屋や出版社などいくつかの場所で働き、稼いだお金は本と映画と音楽と酒に消えてゆく。気の向くままに散文を書いたり、デザインをしてみたり。いつでも大好きな瓶ビールが飲めるようにと、携帯栓抜きを鍵につけて常に持ち歩いている。

2022.04.21
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多拠点生活サービス「ADDress」のまっさんこと高本です。
春ははじまりの季節でもあり、別れの季節でもある。桜の花が満開な西陣、ADDress京都西陣B邸(KéFU)共同家守としてお世話になってきた中島崇裕さんが新しい出発をされることになったらしい。

中島さん、僕の地元の岡山で学生生活を送られて西粟倉での活動を経ての今までがあったことを連携の際に知ってびっくりしたものだった。世の中本当に狭いね。

彼の珈琲ワークショップをいつか受けたいと思っていたのだけれど、新たな出発先のRCホテル京都八坂で珈琲を淹れながら旅人のケアを開始されているとのこと。また京都に戻った際にはぶらり寄ってみようかな。(写真はちょっと照れながら珈琲POTを抱いてる中島さん@KéFU)

僕自身、西陣で出会ったひとを今年何人増やせるか?なかなか帰れてなかったけれど、これからのOSANOTEで触れていきたい。

高本昌宏

多拠点プランナー / ADDress 事業企画 高本昌宏

学生時代に伏見と西陣に住んだことがきっかけで、京都では決してメインストリームではないかもしれないこの二地域に惹かれる。多拠点居住サービス立ち上げをしながら、2020年伏見移住。西陣にも同年から通い始め、魅力再発見中。

2022.04.20
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今回の投稿でちょうど一周して一年と言うことで、改めて西陣が繋いでくれた身近な周りの方々に感謝を込めるコラムにしようかと思います。

京都に来て7年。その始まりの場所が西陣でした。初めての社会人生活がスタートし友人もほとんど居ない中、たまたま出来た近所の友人夫婦。しばしば晩御飯に呼んでくれたりと慣れない土地での生活を2人でサポートしてくれました。ありがとう。

そして、偶然同じタイミングで京都に嫁いできた地元福岡の友人も旦那さんと共に遊んでくれて、またまた偶然な事に今年から西陣に新居を構えご近所さんになりました。いつも楽しい時間をありがとう。

今の師匠とも西陣で出会いました。まだまだ修行は続きますが、生意気な私を諦めずに育てて下さっています。師匠への感謝は尽きませんが、一生の仕事を一から教え導いて下さった師匠にもありがとうございます。

西陣にはまだまだ沢山の出会いや思い出の場所がありますが、
初心忘れるべからずでまた4月から新たな気持ちでスタートし、もっとディープな発見や人との出会いを見つけて行きたいです。

山本萌加

Société Nouvelles Lunetts 視覚研究所 主任研究員 山本萌加

武蔵野美術大学(工芸デザイン学科木工専攻)卒業後、眼鏡制作者七代目山ノ瀬氏に弟子入り。眼鏡制作の修行と、師と共に眼鏡ブランド〝Société Nouvelles Lunetts 視覚研究所〝の主任研究員てしてお店を運営しています。

2022.04.19
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現代美術製作所では、4月の末から久しぶりの展覧会を開きます。今回個展を行なっていただく鈴木貴博さんは、「生きろ」というシンプルなメッセージを、写経のように書き続けるプロジェクトで知られているアーティスト。この写真は製作所のFacebookでも紹介しましたが、1999年、鈴木さんが西陣でパフォーマンスを行った時の様子で、広々とした会場の床を埋め尽くす「生きろ」のメッセージが壮観です。その当時「西陣北座」と呼ばれていたこの建物は、今でも大黒町に健在で、現在はロボットメーカーの(株)テムザックの入っている場所と聞けば、ピンとくる方も多いことでしょう。今回の個展「日曜絵画」では、2011年以降に描き続けている絵画作品から、30点ほどを選んで展示します。「生きろ」みたいな活動をするアーティストのことですから、描く絵もなかなか一筋縄ではいかない、ユニークな表現に溢れています。「密」になりそうな会期中のイベントは控える代わり、チラシのバリエーションを増やしたり、作品を元にした缶バッジを作ったりなど、他の面で少しだけ遊び心を加えつつ準備に勤しんでいます。

曽我高明

ANEWAL Gallery現代美術製作所 ディレクター 曽我高明

東京の下町・墨田区の向島で、長年展覧会やアートプロジェクトに取り組んできました。縁あって2017年より上京区に拠点を移し、ANEWAL Gallery 現代美術製作所(通称:現代美術製作所)をオープン。ゆるいペースで様々な活動をしています。

2022.04.17
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#ただいま西陣

同志社大学「卒」のヨリフジです。
まだ名乗り方が定まっていないので、しばらくの間は肩書きなしでご挨拶させてください(笑)

私は先日、晴れて大学を卒業し社会人となりました。
また、西陣から引っ越して3週間ほどが経ち、新しい土地での生活にも慣れてきました。

さて、この前の週末のお休みは、西陣に帰っていました。
いつもよく行くお店に行くと、常連さんから
「おぉおかえり、もう帰ってきたんか?」という嬉しいお言葉が。
「(あれ…私の地元はどこだったのか…?)」
周囲の人も自分自身も、私が京都の出身でないことを忘れているのではないか?というくらいに、京都・西陣が自分の帰る場所になりました。

今は仕事が始まりいつでも西陣に行くことはできないため、限られた時間で西陣に行くようになり、これまでよりも強く、西陣のことを知ろう、西陣での時間を大切にしたい、と思うようになりました。
環境を変えてみて気付くことは多いです。
これからは、外からならではの視点で、京都や西陣の魅力を見つけられるといいな。

(写真・引っ越し日のランチはキッチンゴンさんで)

依藤菜々子

紡ぎ手 依藤菜々子

同志社大学卒業。 2020年、同志社大学が発行する今出川地域のフリーペーパー「イマ*イチ」の制作を通じ、西陣ならではの凝縮された魅力を知る。 好きなもの:アニメ/クラシック音楽/ミッフィー

2022.04.16
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昭和の頃、下立売通りには夏季(5~9月頃だったと思います)の3日、13日、23日の3が付く日に夜店がでていました。大宮通りから智恵光院通まで普通だと歩いて5分程の距離でしたが、その時間(確か17~20時頃)は通行規制もされ、盆栽、たこ焼、輪投げ、パチンコ、スマートボール、金魚すくい、風船釣りなど、定番のお店がずらりと並んで、幼い頃は3が付く日はとても楽しみでした。その夜店も平成になる頃でしょうか姿を消してしまい、由来などは今もわからぬままです。
学区のことを検索してみましたところ、ある方がその夜店の話を書かれており、その中に昭和25年頃からあったということが記されておりましたが、やはり由来まではわかりませんでした。
後日、下京区にお住まいの方に夜店の話をしましたところ、同じ頃、西洞院通四条上るあたりにも夜店が出ていたそうで、こちらは9の付く日だったそうです。下立売通りとの関連も含めて引き続き調べてみようと思います。

屋台つながりで、二条公園の北にある鵺大明神の脇で金魚すくいの屋台が出ていたことも思い出しました。こちらもどういった経緯で出ていた屋台なのかは不明なのですが、愛想のよいおばちゃんが切り盛りしていたことが記憶に残っています。

岡田健

光都紙工有限会社 代表兼デザイナー 岡田健

西陣の南東?の牛乳屋の息子として生まれ育って五十数年、今は極小印刷会社の代表取締役兼デザイナーです。ウクレレとコーヒーが好きです。

2022.04.15
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私ごとですが、最近突然運動に目覚め、時間を見つけては筋トレをしたり、散歩に出かけたりしています。今まで5分歩くのも面倒がってバイクを多用していたのですが、歩くということをやってみると、見慣れた風景の中に新しい発見が沢山あってとても楽しいです。
通ったことのない小道を積極的に歩くのですが、今まで知らなかった素敵なお店や町の風景にどんどん出会えます。噂に聞いてた評判のブックカフェ。看板の可愛いピアノ教室。金曜日だけオープンする絶品洋菓子店。観葉植物の茂るレストラン。いつも家族連れで賑わう小さな公園。軒先に色とりどりなお花を見事に咲かせる老婦人の居るお家。
バイクの速度や用事のための移動だけでは見つけられなかった景色がそこかしこに。
隠れ家のようなお店で思い思いに過ごす人たち、家々の空気感。西陣の町の繋がりや温かな雰囲気、歩くほどに見つけられ感じられます。こんなにも歩くことが楽しい町だったなんて・・・、今更ながら西陣散歩にはまっている次第です。
しかし、4月も半ばというのにもう初夏の陽気。葉桜の柔らかな色彩と体感温度のギャップに少し驚きながらも、これもまた春の形かなと西陣界隈をてくてくと歩くのです。

松波さゆり

和裁士 松波さゆり

岡山県出身。布好きが高じて京都で学び暮らし始めて早18年目。プロの和裁士としてテレビドラマの衣装をはじめ様々な仕立てを手掛ける。現在は市民運営の寺院 ”寳幢寺”のスタッフとして日々を過ごしながら、社会や地域に貢献できることを模索しています。