西陣にまつわる
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西陣にまつわる人々が、綴るコラムCOLUMN

2021.08.30
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多拠点生活プラットフォーム「ADDress」のまっさんこと高本です。
この春から東京のとある広告代理店のお手伝いで、東京と京都の二拠点暮らし中。東京比率が高まるにつれ無性に食べたくなるのがこのあんバタートースト。ADDress拠点でもある「ケフ西陣」の朝食メニューで伏見の自宅からこれを食べるためだけに西陣に車で定期通勤?していたくらいお気に入り。

1908年創業、北野天満宮前にお店を構える中村製餡所の粒あんが贅沢に盛られ、ふんわり柔らかい風味のケフ西陣自家製バターとこんがり焼かれたトーストが奏でるシンフォニー。丁寧に淹れられた珈琲と至福の朝餉時間を楽しめること間違いない。東京でもあちこちでこの話をふんわりしていて、聴いたひとは誰もが「それいつか食べてみたいなぁ〜」と子犬のような優しい瞳になるのだった。

これから京都に行かれる方も、ジモトな京都に住まうあなたも、ぜひ一度お試しいただきたい。優しいあんこの甘さのその奥に、日常の中にある非日常な幸せをそこはかとなく感じさせてくれるはず。西陣の朝はおいしいよ。

高本昌宏

多拠点プランナー / ADDress 事業企画 高本昌宏

学生時代に伏見と西陣に住んだことがきっかけで、京都では決してメインストリームではないかもしれないこの二地域に惹かれる。多拠点居住サービス立ち上げをしながら、2020年伏見移住。西陣にも同年から通い始め、魅力再発見中。

2021.08.29
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#24日は西陣の日
になりつつあるらしい。誕生日の日付が24日なので嬉しい。

西陣に引っ越してきて3ヶ月が経とうとしている。
当時は土地勘がなく、最近気づいたのだけど、西陣はじわじわ縁のあるところだった。

成人式の着物は五辻の「帯のこくりょう」さんにお世話になっていたし、
大学のゼミでは上七軒のバス停からすぐの「吉岡映像」さんにお世話になっていた。
今働いているKéFUから歩いてすぐの自家焙煎スペシャルティコーヒー専門店「Laughter」の三輪くんは、大学も学部も、当時やっていた学生の集まりの部署も、そのさらに小さなグループも同じだった。

オサノートでコラムを書いている和裁士の松波さゆりさんにも、ここにくる前から兄弟で度々お世話になっている。

一緒にコラムを書く日がくるとは。西陣に住んでいることをより実感した。

写真は、Kefuの朝ごはん定食の食材の買い物途中にすれちがい、Tシャツが可愛くて声をかけたおじいちゃんおすすめのお店の季節の和菓子。透明な羊羹を初めて食べた。西陣値up。

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早川春香

2021.08.28
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小学生の頃、ほぼ野球にしか興味がなかった。当時連載中だった高校野球マンガ「ドカベン」の影響によって将来は甲子園!と夢見て日々野球に励んでいた。「ドカベン」は、ずば抜けた才能を持つキャッチャーの山田太郎を擁する明訓高校野球部が強豪校を破り勝ち進んでいく物語。その山田とバッテリーを組むピッチャーはアンダースローで変化球を操りだす美少年・里中サトル。線が細くモテモテの彼は激戦の連投でヒジを痛めてしまうのだった…

西陣病院の北側、寺之内通りと廬山寺通りは良く通る細い道。この二つの通りの間には昔ながらの町家・長屋が連なっていて、まるで映画村のよう。ここのあたりの細道をジグザグと散歩するのが気に入っている。
何年か前にその辺りを散歩していた時、古い長屋の2階の簾に大きく書かれた「はり灸」の文字が目に入った。

蘇る記憶…「ドカベン」の里中サトルがヒジを痛め、様々な治療の末にたどり着いた「はり灸」によって奇跡の復活を果たし「サトルボール」という魔球を生み出したのだった。(うろ覚え)
「はり」と「お灸」?小学生当時はその恐ろしい治療法に驚愕したが、今ならわかる「効きそう!」だと。

そして今は各所調子が悪くなった時にこのはり灸・真陽堂さんに施術してもらっている。結果は「癖になる程、気持ち良い!」
そろそろ「サトルボール」も投げられるようになるはずである。

小川 櫻時

映像監督 小川 櫻時

長年様々な映像をを作る仕事をしています。東京、沖縄を経て2015年から京都市在住。近年は、クラフト作家や様々な手仕事をする人々にフォーカスした映像を制作・発表しています。映像空間演出ユニット「SAKKAKU」としても活動しています。

2021.08.27
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小さな頃から「よそ見しないで歩きなさい」とよく言われていた。

京都に住むようになってからも、電柱に激突したことが三度ほどある。電柱脇のお店から飛び出して来たおばちゃんに渡された冷たいタオルを血で赤くした。あまりに良くぶつかるので、当時付き合っていた彼女に掴まって歩くように言われた。

私が生まれ育ったのはいわゆる東京の下町だが、幼稚園へは車で30分かけて送ってもらっていた。小学校は電車で40分だった。中高は電車で50分。大学は電車で2時間半を通った。

当時の生活空間を並べてみる。
[ 家⇔(徒歩10分)⇔駅⇔(電車)⇔駅⇔(徒歩10分)⇔小/中/高/大 ]

地元空間に接触している時間は1日約20分。地元で胸おどる何かが起こるには、アニメ1話分よりも短い時間に期待するしかなかった。もちろん何もなかった。

その後京都の大学に編入し今に至る訳だが、日常生活は徒歩で完結出来る範囲に収まっている。生活機能面だけではなく、魅力的なお店、歴史的な遺構。川が流れ、山に囲まれた地形。偶然すれ違う知人たち、通りの間隔なども心地良く、先が気になって仕方がない「細い道」がそこかしこに伸びているので退屈しない。

これらはつまり徒歩を前提とした「人間のスケール」でまちが形どられているという事なのだと思う。

平安京はおよそ東西4.5km、南北5.2km。平城京はおよそ東西4.3km、南北4.8kmだったそうだ。一般的に人の歩行速度は時速4.8kmと言われているので、まっすぐ歩けば一時間前後で端から端まで歩けてしまう。
西陣を含む上京区を東西に貫く「今出川通」は、東の鴨川から西の北野白梅町まで約3.8km。

歩くと約50分。これくらいがちょうどいいのかもしれない。

ちなみに首都圏の平均通勤時間も約50分だそうだ。

飯髙克昌

特定非営利活動法人 ANEWAL Gallery 飯髙克昌

代表理事/アートディレクター。 都市計画・建築設計を学んだ後、設計事務所勤務を経て2004年 ANEWAL Gallery設立。”外に出るギャラリー”をコンセプトに通り、路地、地下道、廃屋から重要文化財まで都市の様々な空間で文化・芸術と地域・公共を繋ぐ活動を展開している。

2021.08.26
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「今日は一日頑張ったぞ!」
そんな日は500円玉を握りしめて銭湯に向かうのが私のルーティンだ。

京都府内の銭湯は最盛期の5分の1程まで減ってしまったそうだが、西陣界隈にはまだまだ銭湯が点在している。

世間話に花を咲かせるおじいちゃん達に、サークルや就活での悩みや恋バナで盛り上がる学生達。そして、時にはおじいちゃんと学生が楽しく話していることも。
銭湯ではみな飾らない「ありのまま」の姿だ。そのまちの「縮図」ともいえるだろう。

そんな光景を見ながらゆっくりと湯船に浸かるのがたまらないのだ。もちろん、風呂上がりのビールは外せない。

ちなみに私のおススメは「長者湯」
大正6年創業で100年以上の歴史を誇るこちらは、井戸水を薪で炊いているのがポイント。
ちょっと熱めのお湯で体の芯から温まるので、サウナに入らなくても「整う」ことが出来る。

お近くに寄った際はぜひ足を運んでいただきたい。

三輪浩朔

Laughterロースター 三輪浩朔

2020年10月「Laughter」を開業。21歳までコーヒーを飲んだことがなかったが、タイ北部の農園に直接足を運んだことでその魅力にほれ込む。コーヒーを通じて生産者の思いやストーリーも届け、一杯から笑顔溢れる空間を紡ぐことを目指している。

2021.08.25
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元来アウトドア好きなもので、夏になると水のある場所に出没する傾向がある、三ツ木です。

西陣エリアで水場・・・となるとやはり堀川。夏になると子供や親子連れが多く行き交う場所ですが、多分に漏れず私も子供とよく行きます。

ふと先日「堀川って今出川より下から出てくるけど、実際どんな流れなんだろうか」と疑問に思って調べて見たら、琵琶湖の第二疏水分線の水を賀茂川を下越しさせている事実を知りびっくり。てっきり賀茂川の水が流れ込んでいるとばっかり・・・汗

一度河川としてなくなった堀川を紫明通・堀川通を経由して水流を復活させたという。それも結構最近(2009年3月)に工事完了という事実を知りました。

自然と人の混ざり合う場として、多くの西陣の人々が復活を望んだ堀川。

最近雨が続き、少し涼しさを感じ始めましたが、まだまだ暑い日が訪れそうです。

そんなときには是非堀川に足を運んでみてくださいね。

ミツギタカユキ

デザインカタリスト ミツギタカユキ

20歳より渡米し、大学にて彫刻からインタラクティブアート、デザインなど幅広い分野を学びつつフリーのデザイナーとして活動。帰国後京都に移住。現在西陣にてデザインカタリストとしてウェブ制作からデザインに纏る企画・運営など幅広い分野で活動を行う。

2021.08.23
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子どもたちの夏休みものこりあとわずかとなりました。
夏休みが終わるのを残念がっている子どもたち、早く学校に行きたい子どもたち。
とにかく夏休みの宿題を終わらせないとと、焦っている子どもたち、
みんなそれぞれですが、少しずつ新学期に向けた、気持ちの準備がはじまっているようです。
今年の夏も、子どもたちにとって、自由な夏とは言えなかったかもしれませんが、
こんな状況だからこその楽しみ方で、ミライブラリでもいろんな出来事を積み重ねました。
ミライブラリのなかで、夏祭りをして楽しんだり、日帰りのキャンプに行ったり(なんと着いてすぐにカブトムシとクワガタムシに出会える奇跡も!)、木で迷路をつくったり、外でかき氷を食べたり、ちょっとしたことから、おおきなことまで、この夏の大事な出来事として、子どもたちの中に残ってほしいなと思っています。夏も終わり、秋が近づいてくる中で、まだまだ先が見えない状況が続きますが、これからも多くの子どもたちにとって、できることも、やりたいことも、たくさんみつかる毎日であることを願うばかりです。

村上弘

特定非営利活動法人 代表 村上弘

特定非営利活動法人SOWERS代表 放課後の時間に、多様な体験を届けるafter schoolミライブラリを運営。子どもたちの今とこれからを考え、放課後の選択肢とその可能性の拡張を目指し、日々活動しています。

2021.08.22
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西陣に住んでから気がついたことはいくつかあるが、

その中でも印象的なことの1つはチェーン店の少なさである。

✴︎肌感覚での話です。

 

いわゆるファストフード店だ。

以前住んでいた場所では牛丼屋、ハンバーガーショップ、居酒屋のチャーンがひしめきあっていた。

石を投げたらどこかしらのファストフードには当たるレベル感である。

 

しかしここ西陣では初見のファストフード店に行くためにはグーグルマップを駆使する必要すらある。

ふらっと入るというより探して自転車で移動してやっとたどり着くという感じだ。

 

住みにくい⁈

いや西陣にはファストフードを凌駕するほど個人店がひしめきあっている。

石ころを投げたらどこかしらの個人店に当たる。なんなら有名な店がそこら中にある。

個性豊かたなお店が街を支えているんじゃないかと思うほどに。

 

学生時代に西陣に住んでいたらもっと記憶に残るお店を見つけれていただろうなと。

森 風渡

風とCOFFEEオーナー 森 風渡

2020年10月に"風とCOFFEE"を西陣京極にオープン。コーヒー屋には不向きとされる入り組んだ路地奥にて自家焙煎を行う傍ら、京都で1番ディープな路地(自称)である西陣京極に新たな風を吹かせるべく奮闘中。

2021.08.21
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緑が覆う庭で、常連の大学生がボランティアスタッフのおじさんにベンチの作り方を教わっている。あるときはカフェの駐輪所に自転車を停めに来た高校生に、スタッフが大勢たかって「今日部活どうやった?」「晩ごはん何?」などとたたみかけている。またあるときはコーヒーを飲んでいる常連さんに「ちょっと相談にのってもらえませんか」と断る間もなくスタッフがすでに隣に座っている。と思えばスタッフとは初めに挨拶を交わしたきり、今日は特段話し込むことはなかったなぁという日もある。

これらはバザールカフェで見かける光景の一部です。その光景は「客と店員」という、あるいは「何者かと何者か」という区別をするには不似合で、そこにいる人と人とが自由な関係で相対しているように見え、とてもよいなぁと思っています。

バザールカフェの「バザール」の意味は「市場」。人が行き交い、コミュニケーションが生まれる場。それでいて、昔の日本の「市」は無縁の人がかけ込む場でもあったそうです。そこでは誰が何者であるかを追及されない暗黙の了解があったのだと知り、バザールカフェの設立当時によくつけられた名前だなぁと感心しっぱなしの最近です。

狭間明日実

バザールカフェ店員 狭間明日実

バザールカフェ事務局6年目。日々の営みをとおして、場から起こるもの、個人がのびのびと生きることなどを考えています。 傍らで、地域、福祉、食べることにまつわるいろんな仕事や遊びをしています。 同志社大学社会福祉学科卒業。社会福祉士。海が好き。

2021.08.20
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眼鏡が日本に上陸したのが1551年。フランシスコ・ザビエルによって大内義隆に献上された眼鏡が最初とされます。その眼鏡も戦乱で所在不明となり、現存する最古の眼鏡で史料の裏付けが有るのものは、徳川家康の阿蘭陀(オランダ)眼鏡となります。

1600年代初頭。日本に製法が輸入され眼鏡が作り始められました。それまで出島交易に頼っていた眼鏡も、次第に国内生産品に移行していきました。

日本での眼鏡生産は、初期には錺職人に担われました。欧州から輸入された眼鏡は鼻の高い欧米人向けのものでしたが、次第に私たち日本人の骨格に合うように様々に工夫がされて、機能も補完されていきました。また江戸町人文化に受け入れられ、市中に馴染んでいきました。

明治以降、西洋文明との再合流によって、いつしか眼鏡は西洋風のものと認識されていきましたが、手作りの伝統は今でも私の工房に受け継がれています。

自分はテルマエ・ロマエ風に云うと、日本人の“顔平べったい族”的骨格は、実は多くのデザイン量を消化できる可能性を持つと考えています。そして眼鏡に「和」という言葉を載せただけで、様々な意匠が生かされることがわかります。そこには今までにない新しい眼鏡の形、私たちの住む風土になじみに良い眼鏡の姿が浮かんできます。

山ノ瀬亮胤

眼鏡制作者・現代美術家・ソシエテヌーベルリュネト視覚研究所々長 山ノ瀬亮胤

京都市上京区在住。眼鏡制作者・現代美術家・ソシエテヌーベルリュネト視覚研究所々長。芸術~工芸に拡がる独自分野の構築で国内外より評価され欧州ハプスブルグ家御用達。マスメディアでの出演・取材多数。豊かな江戸庶民文化と職人の心を紹介している。