201 sakumotto ,Inc.

 

いびきが聞こえる。どこかの部屋から、誰かのいびきが漏れ出ている。空には太陽が高く昇り、町では人が忙しく動き、KéFUではブックフェアが行われている。そんな中で「大いびき」をかいている正体は、201号室の中にあった。ゲジゲジとした4本の線で構成された眠そうな顔のCDケースが枕元に置かれ、いびきの正体はそいつだとわかる。Masanao Hirayamaさんは自らのいびきが再生されるCDを作っているらしく、そういうわけで、sakumottoさんはNEMURU KYOTO BOOKFAIRにちなんで、このCDをBGMにしているらしい。

 

 

ベッドには色とりどりの靴下が並べられ、その間には青くてニョロニョロとした棒が置かれている。これは京都にあるitouさんという古道具屋さんの「ニョロニョロ棒」が、sakumottoさんとコラボレーションすることで青くなった限定のものらしい。一見、何に使うのかわからないけれど、花瓶に刺したり、窓際に置いたり、水平に吊るせばハンガーをかけたりもできるそう。

 

 

お部屋の中にはもちろん本も並んでいる。「TOO MUCH Magazine」や「here and there」などの出版物のディストリビューションも手掛けているsakumottoさんの京都のお気に入りは、丸太町河原町近くにある誠光社さんという本屋さんであるらしく、そう聞いたときに、かつて誠光社さんで「here and there」が並んでいるのを見たことを思い出した。「町を知るにはまず本屋さんへ」という言葉をよく聞くけれど、町の縮図が本屋さんなのであると考えてみれば、主に東京で活動をされているsakumottoさんの京都のお気に入りが誠光社さんだったなんて、京都も誠光社さんも大好きな僕に取って、とても誇らしいことだ。

 

本の流通に携わったり、イベントを開催したり、東京でギャラリー兼ショップを運営されていたり、多岐にわたる活動をされているsakumottoさんは、若い頃はハンバーグ屋さんでアルバイトをしていたという。バイトをしてお酒を飲んで、またバイトをしてお酒を飲む。稼いで飲んで、稼いで飲んで、という生活を送りたいと心から願うぼくは勇気づけられた気がした。

 

そんなお酒が好きなsakumottoさんの「バイブルの一冊」は、『ぼくは蒸留家になることにした』(江口宏志、世界文化社、2019年)というお酒にまつわる本だ。「Utrecht」という本屋や「TOKYO ART BOOKFAIR」の立ち上げで活躍をした著者が、本の次に見つけた世界は酒の世界だった。嗜好品となりつつある本と、嗜好品としての地位を確立しているジンにはどんな共通項があるのだろうかと、本も酒も大好きなぼくは気が気でない。ちなみに、著者の江口宏志さんは、「sakumotto」さんの名付け親であるという。(文・大成海)

 

 


202 細谷謙介

 

「ニュー月島」と書かれた黄色い封筒が扉に貼られている。ベッドの上には食品サンプルに思えて仕方がない純喫茶的な料理―それぞれの料理が、その料理に対して抱く万人の共通概念(オムライスはオムライスらしく、ナポリタンはナポリタンらしい)に忠実に作られており、色画用紙を背景に鎮座している―がプリントされたポストカードが並ぶ。その奥には、3度くらい赤を重ね塗っても足りぬほど赤々としたホテル風なスリッパが丁寧に整列している。「ニュー月島」というのはどこかの純喫茶であると同時に、どこかのホテルでもあるみたいだ。KéFUというホテルの客室の中に「ニュー月島」というホテルがあるというのは至極ややこしい話ではあるのだけれど……。

 

 

「ニュー月島」の主人は写真家の細谷謙介さん。中学生の頃からコンパクトカメラを持って写真を撮り、大学進学をきっかけに写真の世界にのめり込んだ。中古のマニュアルカメラを手に入れ、大学の友達や風景を夢中で撮っていたらしい。今はデザイン関係の仕事をする傍ら、写真家としても活動をされているという。若い頃に夢中になっていたことを大人になっても続けられている人って、ぼくからすると本当に羨ましい。

 

 

先に話した純喫茶的料理の写真は、全てご自身で器を集め、料理をしている。中にはソフトクリームのものもあるのだけれど、ソフトクリームのスタンドを用意して、ソフトクリームの機械までレンタルして撮影されている。そんな愉快なコンセプトの写真もあれば、画面内に光が収まりきっていないほど感動的な日常の風景写真もある。スリッパのように、写真とはなんの関係もなさそうなものも置いてあり、多岐にわたる細谷さんの活動に魅せられる。

 

 

そんな細谷さんの「バイブルの1冊」を聞くと、さすがは写真家、『message』(佐内正史、平凡社、2001年)という写真集の答えが返ってきた。「『message』の写真は、なんでもない風景写真だけれど、けっこうじわじわ来る」と細谷さん。『タンタンと』(佐内正史、アーティストハウス、1999)という写真集も印象に残っているらしく、テニスラケットを思い切り振る佐内さんのセルフポートレートに衝撃を受けたそうだ。考えてみれば、写真家自身が写った写真ってあまりない気がする。写真家はいつもレンズを覗く側にいると勝手に思っていた。写真の表現の方法って、写真家自身が写ることでけっこうグワグワっと広がるのかもしれない。

 

ちなみに、細谷さんの京都でのお気に入りは鴨川だ。「仕事で京都にきたら必ず鴨川を見ようと思います。外部の人が京都に来て、いちばん京都を感じるのは鴨川だと思います」と細谷さんは語る。鴨川は誰のものでもなく、誰のものでもある。誰にとっても等しく心地よい居場所を提供する。そんな鴨川で、細谷さんは一体どんな写真を撮るのだろうかと想像しながら、202号室……いやいや、「ニュー月島」を後にする。(文・大成海)

 

 


 

203 暮本

 

203号室のドアには「ポスター」と書かれたポスターが下げられていて、BOOK FAIRの2日間、部屋の中からは温かい声が溢れていた。暮本さんとは、デザイナーのこぐれそうさんと、作家のくらもちあすかさんの期間限定ユニットで、まるで教育テレビ番組に登場する歌のお兄さんとお姉さんのような、優しさと明るさが滲み出るお二人である。

 

 

ベッドにはスマホが置かれてあり「言葉のラクガキ」というアニメーションが流れていた。「Fukuzawa Yukichi」や「Moon」などといった文字が分解され、そろそろと動き出し、モチーフのイラストに変化しては、また文字に戻るという作品。用いることのできる線の数は少ないにも関わらず、イラストはそれぞれに表情があり、思わず線の上を指でなぞりたくなるような、そんな愛らしさがある。

 

「デザインとか芸術とかって、身近なところにも普通にあるものだと思うんです。」

 

そうおっしゃったのは、くらもちさん。ベッドフレームには「Ohana-Mi」という植物を分解して再構成したアクリルの作品も置かれている。「だれでも落書きをしたり、摘んだお花を並べることはできるだろうけど、そういう身近なところにあるものって見落としがちだと思うんです。私の作品に触れた人たちがなにを感じているのか、どう思っているのか、そんなお話を聞く時間が好きだったりしますね。」

 

 

印象に残っている本の話題になると、太宰治の名前が挙がった。お二人とも文学に積極的に触れる時期があったらしく、こぐれさんは『お伽草子』、くらもちさんは『黄金風景』が特に心に残る作品だという。とある一節を何年も経った後に再び思い返してみたり、さまざまな読者の感想や考察を踏まえた上で読み返すことで、物語の感じ方がまったく変わる。その新鮮さを楽しんでいるのだそう。

 

こぐれさんに京都のお気に入りの場所を尋ねると、桂川の渡月橋近く北側の河川敷をおすすめしてくれた。「川の音とか、程よい鳥の音とかが良くて、山も見えて。対岸には観光客がたくさん歩いているんですけど、こちら側の岸には近所に住んでいそうなおじさんが座って寝ていたりするんです。その時とても忙しい時期だったんですけど、そこに流れているゆっくりとした時間がほんとうに良かった。」

 

渡月橋には何度か足を運んだことはあるが、背景が変われば場面の見え方も変わるものだ。

 

こぐれさんが聞いたもの、見たものが気になった僕も渡月橋の河川敷に行くことにした。(文・土路生知樹)