第2回

西陣と織物産業

Written by 渡邊珠生

 

 

*西陣織ってなに?

 

突然ですが問題です。

ででん!「西陣織」という言葉を具体的に説明せよ。

 

〜シンキングタイム〜

 

答えは…「多品種少量生産が特徴の京都(西陣)で生産される先染(さきぞめ)の紋織物」の総称、でした〜!! (引用:西陣織工業組合HP)

皆さんどうでしたか?西陣織という言葉はよく知られていますが、その定義を知らない方も多かったのではないでしょうか?ここだけの話、実は私も知りませんでした…。これから一緒に学んでいきましょう!!

 

西陣織は、昭和51年に国の伝統工芸品に指定されました。その品種は綴(つづれ)、緞子(どんす)、絣織(かすみおり)など、大変多く、花嫁衣装や能装束の服地などの特別な場面でも使われています。今日では、ネクタイやマフラーなどの服飾品、室内装飾品など、より日常的に使うことのできるものも作られているのです!古くからの伝統や技術を受け継ぎ、そして今もなお発展し続けている西陣織。

歴史の視点から、みていきましょう。

 

 

*どうして西陣地域は織物が有名?

 

 

前回も少しだけお話したように、西陣辺りの地域では古くから織物の生産が行われていました。

どのくらい古くからでしょうか?奈良時代?平安時代?いえいえ、もっとずっと前の時代、なんと古墳時代からなのです。古墳時代は、弥生時代に続く時代であり、3世紀末〜7世紀ごろまでを指します。その名の通り、それはそれは沢山の古墳が作られ、その頃から日本の一部では少しずつ国家として動き始めておりました。そんな日本に、様々な発達した大陸文化を伝えるべくやってくる人々がいました。渡来人と呼ばれる、朝鮮半島の人々です。

 

彼らは、古墳時代以前から稲作や土木技術等、日本の衣食住から文化的発展に至るまで、大きな貢献を果たしました。そして古墳時代、秦氏(はたうじ)という氏族が現在の太秦地域の辺りに住み着き、人々に養蚕と絹織物の技術を伝えたのです。そうです、これこそが、この辺りの地域における織物産業のきっかけとなりました。

 

時は進み、平安時代。朝廷は、古墳時代に伝えられた絹織物の技術を受け継ぐ人々を、宮廷の織物を管理する役所として組織しました。その名も「織部司(おりべのつかさ/おりべづかさ)」。なんて格好良い名前!ちなみに、「司」は役所の等級を指す言葉です。朝廷は、国営の織物産業として、彼らに錦や綾といった高級織物を生産させました。そんな中、平安中期以降になると、国の制度が変わったことにより次第に衰えていきます。そこで職人たちは、それまで住んでいた町を離れ、自分たちで自由に織物産業を営むようになったのです。そして室町時代、彼らは自分たちの力で、再び同業組合を組織します。朝廷だけでなく、公家や武家からの注文も受けるようになりました。ここまでが、西陣地域と織物産業、その関係性の基盤です。

 

このような歴史の上に、西陣織は生まれました。

 

 

*西陣織の誕生

 

室町時代中期、ついに応仁の乱が始まりました。被害から逃れるため、職人達は堺などへ避難。それまで彼らが住んでいた町の織物産業は壊滅状態になってしまいました。乱後、京都に戻ってきた職人達は、現在の上京区新町今出川上ル付近の地域と、今出川大宮付近の地域2箇所に分かれて住み、再び活動し始めます。そして、この時彼らが復活させた織物が、京都における絹織物業の代表的なものとされるようになっていくのです。

 

お気付きですか?

そう、この2箇所の地域、東軍陣地跡「東陣」と、西軍陣地跡「西陣」ですね!前回の記事でもお話しした通り、その後東陣は衰退。大陸伝来の技術を取り入れた、高級絹織物として西陣織が誕生し、その産地としての西陣が確立しました。

 

ついに、西陣織誕生です!!

 

 

*時代と西陣織

 

 

その後の戦国時代、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、西陣を機業地と認め、そこでの織物産業を保護します。豊臣秀吉西陣織応援団、といったところでしょうか。さらに、江戸時代になると争いがなくなり、町人文化が盛んになったことで、西陣織はぐんぐんと勢いをつけていきました。ところがその後、西陣大火と呼ばれる大火事や飢饉、政府による規制などがきっかけとなり西陣織は衰えてしまいます。

 

そのような状況の中、世の中は明治時代に突入。西陣織産業はいち早く近代化に取り組みました。フランスに人材を派遣し、ジャガード織物など西欧の新しい織物を輸入したり。技術や染料など、より新しいものを取り入れ、国内外にその魅力を発信したり。

 

このような沢山の努力の結果が、現在の西陣織に繋がっているのですね。

 

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ここまで、西陣地域と織物の関係、そして西陣織の歴史をみてきました。その奥深さ、そして今まで携わってきた人々の努力や知恵や思いが少しでも伝えられたらと思っています。この記事が、西陣織に興味を持ってもらえたり、西陣織の魅力を再発見したりするきっかけになったら嬉しいです。

 

第3回ぶらニシにも乞うご期待!

 

参考:『京都の地名検証2 風土・歴史・文化をよむ』 京都地名研究会 編 /2007西陣織工業組合HP/世界大百科事典/日本大百科全書