西陣 路地まち工作室 KRAFTERIA
第3回 手に届くまでの道のり 各パーツがきらきら輝いたところで、縫い合わせる準備をして、いよいよ組み合わせていきます! <名入れ> メタルスタンプと呼ばれる工具を使い、手作業で一文字ずつ刻印していきます。 水で軽く水で濡 […]
西陣にまつわる
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初めまして、 西陣に住んでいる黒田健太です。 夜のがらんとした千本通を歩くのが好きで、たまに夜中に出かけます。生活をしていると忘れてしまうのですが、そんなささやかな時間にときどき立ち寄りたいと思っています。
理解できぬ符号それらの偶然の一致。
奇跡を見逃すことが多くなったのかもしれない。荷物の配達をお願いすれば大抵は到着日に届くし、道案内のアプリケーションを使えば目的地への最短距離、最速時間でルートが明示される。こうやって計画的に目標を達成しスマートに人生を生きることができる。
現在、僕は西陣のゲストハウス/カフェで働いていて、多くの人が滞在していく。今、目の前でお茶しているご婦人方を見て、人と人とのおしゃべりはスマートさとは全く違った性質を持つと思う。
一つの話題を何度もループする。話していた内容が突然別の話題へと導かれ、もうその時点では何を話していたのかは分からなくなっていく。
予測不可能なやり取りの中で、時折顔をパッと明るくして驚きの声をあげる。あー、そうやったんかぁ。と頷く。それは話題同士の偶然の一致、これまで生きてきた何十年もの人生で不可解だった物事の糸が解かれる瞬間のように思えた。おしゃべりはいろんな時間を遡って、また未来へと渡って繰り広げられている。
毎回、昼下がりに大海へと漕ぎ出したご婦人方の船は夕方ごろに陸へとあがって解散する。(その解散の合図は毎回見逃しているためはっきりとはしないが、何か落ち着きどころがあるはずだ。)
僕は注文されたコーヒーをテーブルへ持っていく時に少しだけ会話の渦中へと誘い込まれる。そしてあっ!という瞬間に立ち会うことがある。それはどうでもいい時間、どこにでもあるような時間だが、その瞬間確かに僕とご婦人たちは大海の中で偶然出会っている。そしてそれはとても幸せなことだと思う。
夕暮れが近づく交差点で信号待ち。視線を感じた。
思ったより大きな(10等身ほどの)彼女はじっと南を眼差し、その眼下をさまざまな速度で人が行き交う。
古来より私たちは自然をさまざまなものに見立て、見出し、この世ならざるものの気配を感じ取ってきた。
雲から現れる大入道、月面に浮き上がる貴婦人、コンセントに住む小人の顔。:)
普段は背景と溶け合っている彼らと目があった時、私たちはあらゆる気配が息づく中で生活していることを気付かされる。
そしてほとんどの場合、出会った翌日には彼らの存在は薄れているはずだ。だから今、記憶から粛々とこぼれ落ちていく彼女を書き留めておきたい。
堀川今出川に座する長身の彼女に巨人の威風はなく、その目には憂いを宿していたように思う。いつか来る誰かを待っているのか、もう去ってしまったのか。あるいはゆっくりと変わりゆく街並みに思いを馳せていたのかもしれない。
いずれにせよ、私たちの時間の尺度ではそれを知り得ることは叶わない。
両者の間にある「分かり合えなさ」は、いつまでも青にならない横断歩道のようにこれからも隔たれたままだろうか。
束の間、留まっていた時間が進むのを感じる。信号が変わった。
ペダルを漕ぐ足が再び動き出す。
仕事を終えて帰宅する夕方、いつも出会う人がいる。
最初は目が合うだけだったが、今では立ち止まって頭を下げるようになった。
近所の人、なのかもしれないし
たまたま職場が西陣なのかもしれない。
互いに言葉は交わさない。
なのでその道で出会う、ということ以外僕たちは知りようがない。
たぶんこの先もお互いのことを知ることはないだろう。
それでも姿を見つければ目を合わし挨拶をする。
ぼーっと家に帰る道でも、挨拶を交わすと元気が出る。
知らない人にケアされているんだな、と思う。
一緒にいること、コミュニティというのはどういうことなのか、と考えさせられる。
もしかすると、これもささやかなコミュニティなんじゃないだろうか。
今日は雨が降っている、あの人はあの道を通るだろうか。
桜の小道にて
とようけのお豆腐屋さんで買い物をし七本松通りのなだらかな坂を自転車で帰っていた朝。
まだ朝も早かったのでぼーっとしながらペダルを漕いでいると、目の端に鮮やかな景色が映って思わずわっと声を出して自転車を停めました。
細い道に桜が咲いていて地面には落ちた花びらが線を作り道の奥へと続いていました。
道に入ると桜木の高さがだんだんと低くなりアーチを形作っていて雪のようにはらはらと花びらが散っていきます。
身体をかすめていく花びらはゆっくりと落ちていき、体感する時間が遅くなっていくようでした。
そのあまりにも突然居合わせてしまった小道は僕がそれまでいた七本松通りから遠く離れた場所に誘い込んでいるに思えて、あぁ美しいものは畏ろしいんだなと感じそっと引き返しました。
もといた七本松通りに戻るとすっかり目が覚めていて、通りにいる車や人を見ながら帰りました。
春はあらゆる命が芽吹き波打つことで力強く世界がうねる季節ではないでしょうか。
あの朝僕はそんな「春の渦」のようなものに踏み入れてしまったのだと思います。