新しい音に耳を澄ませて

 

 

2023年1月のル・プチメックの新作は、春の足音が近づいてきたことを感じさせる2種類のブーランジェリー。1つは、ソフト生地のル・プランタン。もうひとつは、ハード生地のプチメック・ルージュだ。「プランタン」はフランス語で「春」を意味する。可愛らしい名前はウキウキする春の訪れを見つけに行くお散歩の相棒にぴったりだ。

 

 

ル・プランタンは、じゃがいもを練り込んだパンに、マスタードで和えた菜の花、生ハムがサンドされている。柔らかい生地としっとりした菜の花と生ハムが、口の中を優しさでいっぱいにする。ひとくち、ふたくちと噛み締めていくとカリッという音。胡桃が今か今かと待っていたかのように大胆に口の中に登場。甘味のあるパン生地、苦味のある菜の花と胡桃、塩味のある生ハム、さまざまな味覚が勢揃いで口の中は“おいしい”の渋滞だ。しかし、先頭のパン生地がゆっくり進み始めると、渋滞がなくなり、全ての味覚が調和する。

 

 

もうひとつのプチメック・ルージュは、濃厚なチョコレートが入ったココア生地に、カシスとフランボワーズが入ったジャムが包まれている。チョコレートの甘さとカシスの甘酸っぱさが、1月にぴったりの旋律を奏でる。1月は、春という甘い音が聞こえてくるが、もう冬が終わってしまうのかという寂しさを甘酸っぱさから感じずにはいられない。この甘さと酸っぱさの絶妙な組み合わせは、ハードなパン生地が包み込んでくれたとき美味しさに変わる。

 

甘じょっぱいル・プランタンと、甘酸っぱいプチメック・ルージュ。春が訪れる時に感じるワクワク感とドキドキ感が味わえる2品である。

 

 


 

 朝7時に集合。パンと言えば、お散歩と言えば、やっぱり早朝。朝日も7時には集合している予定だったが、今日は寒いからか、まだ雲に隠れていた。少し残念に思っていたが、そんな私たちの気持ちを高揚させてくれたのは、瓦が何層も積み重ねられた波打つ壁だ。これは、ル・プチメックから徒歩5分程で着く本隆寺の土壁である。本隆寺は、1488年に創設された法華宗真門流の総本山である。春は桜、夏はサルスベリと四季折々に楽しむことできるお寺である。2年前、大学進学をきっかけに西陣に引っ越してきたとき、父と姉と散歩がてらにここを訪れたこと思い出す。他県から引っ越してきた私は、瓦が織りなす模様に、西陣織が有名な西陣らしさを感じさせられた記憶がある。そのとき、桜が満開だった。初めてのひとり暮らしと大学生活を控えた私は、まさに西陣という場でワクワク感とドキドキ感を味わっていた。

 

 

今日は、桜の代わりに柑橘が生った木を発見。波打つ壁とオレンジの水玉模様を描く柑橘の木の組み合わせは、なんとも言えない可愛らしさ。その横をパンを持って散歩するというシチュエーションは“可愛い”の足し算でしかない。とても美味しそうなパンを食べてしまうのを我慢しながら撮影。「どのようにパンを持ったら美味しそうに見えるか」「パンを主役にしながら、散歩をしている様子を伝えるにはどうしたら良いか」と相談しながら試行錯誤。伝えたいことがたくさんあるが故に、写真という限られた枠の中に全てを収めることが難しいことを実感。そこで、1枚につき1個の思いを馳せることに。そして、木、葉っぱ、ポストなど、ゆっくり歩いていないと気づかないさまざまな日常のモノをアクセントにしながらの撮影は、散歩と撮影の共通点と楽しさを教えてくれた気がする。次回の撮影も、どんな新しい発見があるのかと今からワクワクドキドキしている。

 

 


 

【おまけ】ル・プチメックの映画ポスターにトキメック

 

大成 海

 

ル・プチメックの店内の壁にはあまたの映画ポスターが貼られている。しかも、フランス版のポスターである。だから、北野武の『HANABI』もフランス語でクレジットが書かれていたりするから、日本の映画なのに、出演者が誰なのかよくわからなくておもしろい。きっとル・プチメックの中の人は、少なくないお金と労力を注ぎ込んでポスターをコレクションしていったのだろうと思う。そんなル・プチメックに訪れる度、僕は「これはゴダールが撮った映画だ」とか「『地下鉄のザジ』はルイ・マルだよ」なんてウンチクを勇ましく披露せずにはいられないのだ。

 

ということで、せっかくこのような機会があるので、ル・プチメックの映画ポスターにトキメいたポスターの映画について語らせていただきたく思う。

 

 

『天使の涙』監督:ウォン・カーウァイ 年:1995年 国:香港

 

今から約半年前、日本全国でウォン・カーウァイ(王家衛)扇風が巻き起こった。というのも、『花様年華』『ブエノスアイレス』などの定番映画を筆頭に5作品が4Kレストア版で蘇り、全国の劇場を巡回したからだ。地域によってはまだ王家衛特集の微風が残っている場所もあるのではないかと思う。

 

いつの時代だって、多くの若者は王家衛に憧れる。この文章を書くために、本棚から久々に引っ張り出して来た王家衛特集(上記)のパンフレットには、「かつて、大学の映画の先生は”あの頃の学生映画はみんなウォン・カーウァイを真似していたよ”と笑っていた」という書き出しで始まる寄稿がある。僕が思うに、それは学生映画に限った話ではなく、若者は王家衛の映画を見るという行為を「ファッション」としてを嗜んでいたのではないかと思う。それは今も変わっていない。ヨーロッパの華奢でエレガントな映画とも、アメリカの壮大な映画とも異なる、突然香港からやって来たノスタルジックな映像を目の当たりにしてみれば、興味関心をグッと鷲掴みにされるのは必然というべきだろう。

 

本作『天使の涙』王家衛5作目の映画である。香港の都市を舞台に、5人の男女がすれ違う群像劇であり……という説明は映画を観ればいいので省くとして、かと言って、冒頭でサングラスをかけたグラマラスな女性がエスカレーターを登るだけのシーンに7カットも使っていてすごく贅沢だ……なんて批評家を気取っても仕方がない。ので、僕の好きなシーンについて語らせていただくとする。

 

モウという男が出てくる。金城武が演じるモウは、幼い頃の食当たりがきっかけで言葉を喋ることができない。そのため、ろくな職に就くこともできない。しかし、なんとか働いて食っていく必要があるモウは、夜な夜な他人の店を勝手に営業するのである。「店は家賃を払っている限り、夜も営業していないともったいない」と独自の(屁)理屈で正当化しながら、知らない誰かの店を開け、客も来ないのに包丁を片手に肉を切り刻み、挙げ句の果てには豚にまたがってマッサージを始める。別のシーンでは通りすがりの男の髪を無理やり洗ったり、はたまたキッチンかーを乗っ取ってアイスクリームを延々と食べさせたりと、実にいろんな場所で働いている。そんなことをされる方は、ありがた迷惑も甚だしいのだろうけれど、当の本人モウの表情はすごく愉快だ。自分は他人のためにいいことをしていると思っている顔をしている。他人のために働くのではなく、自分のためだけに働いている彼を見ると、もしかするとこの世界でいちばん真っ当に生きているのかもしれない、そんな風にも思えてしまう。そんな彼がすごく愛くるしく思える映画が、この『天使の涙』なのである。