ふっと暑さが和らいだ8月後半のとある日、朝から街がやけに賑わっていた。いつもは車と人が往来するだけの道に人溜まりができており、うちわを仰ぎながら談笑をしている住民の姿が見える。それも1箇所ではない。少し歩けばまた人溜まりがあり、少し歩けばまたまた人溜まりがある。覗いてみると、それらの中心には祭壇に飾られたお地蔵さんと無邪気に遊ぶ子どもたちがいた。その日は地蔵盆。子どもたちを主役とする町のお祭りである。

 

 地蔵盆という言葉に聞き馴染みの無い人もいるのではないだろうか。
 地蔵盆とはお地蔵さんを町でお祀りする行事である。普段は道沿いのお堂に安置され、町を見守る存在であるお地蔵さんがその日はお堂から、もしくはお堂ごと運び出され、家の中やガレージなどに作られた祭壇に祀られる。8月の地蔵菩薩の縁日である24日ごろの土日に開催されており、「お地蔵さまは子どもを守る」と考えられていることから、地蔵盆は子どもの成長を祝う祭りとされている。京都の各町内会の大人たちはその日、子どもたちのためにさまざまな催し物を用意するのだ。

 

 

 この土地で生まれ育った住民たちに子どもの頃の思い出を尋ねると、口を揃えて地蔵盆の話が挙がる。そして決まって「うちの町内の地蔵盆はな……」と地元話が始まるのだ。それほどまでに地元住民の愛する地蔵盆だが、現在は少子化に伴い縮小傾向にあるようで、開催を断念する町もみられる。多くの住民がかつての盛り上がりを思い懐かしむ中、西陣のとある地域の地蔵盆は現在も変わらない盛り上がりを見せているという。
それが姥ヶ北町うばがきたちょう。乾隆小学校の東に位置する町である。

 

 

 子どもが鐘を鳴らす「カン、カン、カン」という音を合図に姥ヶ北町の催し物は始まる。
家の中や町内で遊んでいた子どもたちはこの音を聞くと会場のガレージに集合し、大人からお菓子の詰め合わせを受け取るとその場で袋を開け、お気に入りのお菓子をお地蔵さんの前に敷かれた畳の上で食べるのだ。

 

 子どもがお菓子に集中している間は大人たちの会話も弾む。驚くべきなのは住民どうしの関係性の深さ。
「おさがりで服もらったりしてな、うちの子めっちゃ喜んでた。」
「よその子でも怒ることもあるよ。だって道路に飛び出てたりしたら心配やん。」
「入学式とか卒業式は町内の大人が集まってな、みんなで写真撮ってるわ。」

 

 初見の僕にはどの子が誰の子どもで、誰がどの子の親なのかもはや判別ができない。それほどまでに住民どうしの関係は親密で、子どもたちは町内みんなの子どもであり、町の大人たちに大切に見守られている。子どもたちはのびのびとお菓子を食べていた。

 

 

 昼過ぎになると子どもたち向けの「ふごおろし」が行われた。「ふごおろし」とは家の2階の窓からロープで吊ったカゴの中に景品を入れて、ロープウェイのように会場にカゴをおろしていく福引きである。地蔵盆の日までに、町内のお堂に普段は祀られているお地蔵さんへ欲しいものを願い、それまで良い子にしているとなぜか願っていたものがカゴに入って降りてくるのだという。一部の界隈で地蔵盆は「夏のクリスマス」と呼ばれているようだ。
ぜひ子どもの目線で想像してみて欲しい。自分の背丈の何倍もある場所から何が入っているかわからない景品がゆっくりと手元に降りてくるところを。大人であろうと胸が高鳴ってしまうに違いない。

 

 

 とある少女はレゴブロックを願っていたようで「これ欲しかったやつやー!」と早速会場で袋を開けて遊んでいた。写真はその場で少女が作っていた「ネコの部屋」である。天蓋のついたベッドや首の回る扇風機など、家具の趣向がいたるところから感じられる。暖色で構成されるダイニングの楽しげな雰囲気に対して、寝室を落ち着いた寒色で作る色使いのセンスも流石だ。「何作ってんのー??」と大人に尋ねられると少女はその間取りを丁寧に説明していたのだが、自信に満ちたその横顔がなにより印象的であった。
このあと、ふたつの部屋は合体し見事な1DKの部屋が完成していた。

 

 

 僕が会場にいたのは夕方までだったが、地蔵盆の行事はまだまだそれからであったらしい。その後、本気の水遊びや、花火が控えており、次の日には数珠まわしやお菓子配り、そして本気の水遊びがあったようだ。子どもを楽しませることを全力で楽しむ大人の姿がなにより印象的であった。

 

 

 地蔵盆が終われば、お地蔵さんはまたいつもの場所へ安置される。そしてまた1年間、住民と子どもたちの生活を見守っていくのだ。短い時間の中ではあったが思い出し笑いをしてしまうような時間を過ごすことができた僕はこれから姥ヶ北町のお地蔵さんの前を素通りすることはきっとできないだろう。この日を思い返しながら、お地蔵さんに手を合わせているに違いない。