小さな幸せいっぱいの王道ハンバーグ

 

 

路地の中で、カタカナの文字が目に入ってくる。それは、「キッチンパパ」と書かれた文字。「キッチン」といえばママのイメージだが、「パパ」という文字は軽く心が躍る感じがする。お店に入ると、くんの種類の玄米が整列している。お店の名前からして、キッチンがすぐ見えてきそうなのに、まさかの玄米の整列に驚く。キッチンパパの手前には安政3年から続く精米店が併設されており、キッチンパパでは、その日のお米を玄米から精米にし、つきたてのご飯が提供されるそうだ。これだけお米に拘っていたら絶対に美味しいのだろうという変な自信が出てくる。

 

 

たくさんの種類の玄米に目を奪われていると、メニューを渡され、そこに書いてある「何杯でもご飯お代わり無料」の文字に気分はもう最高潮。この時点でおかわりは絶対するという決意をする。おかわり無料でおかわりをしない選択肢はない。メニューには、たくさんの種類のハンバーグが並び、全部が魅力的に見える。私は、とろとろ目玉焼きハンバーグを選択。ハンバーグ自身の味を味わいたいと思いながらも、少しのトッピングで大きな幸せをプラスしたいという思いから頼んだ。ここでも、欲張りの気持ちは忘れない。

 

 

そして、お店の中に通してもらうと、洋食屋なのに時計が和の雰囲気を醸していたり、それでいて、机やメニューはとことん洋だったりと和洋折衷の雰囲気。その雰囲気は京都そのものだと感じて非常に嬉しくなった。というのも、京都には、実際に生活し、自分の足で歩いてみると多くの和洋折衷の場所やものがあることを発見した。例えば、京都の街並みその1つである。三条通りを歩いてみると、多くの近代洋風建築を目にすることができる。しかし、1歩細い路地に入ると、京町家が並んでいる。また、そのような近代洋風建築そのものも和洋折衷であることが多い。それは、階段の手すりや天井のデザインは西洋の様式に沿ってなされているが、その柱や天井自体は木材が使用されているといったものである。和洋折衷のものや場所を見ることで、和と洋が相互の魅力を引き出しているため、不思議だが思わず息を呑むような感動を体験することができる。そして、自分の足で訪れ、自分の目でそのような本当の京都を発見できた気がして嬉しかったことを覚えている。その時の気持ちを、もう1度体験できることができるとは思いもよらなかった。

 

 

まずは、サラダが運ばれ、次にメインの登場かと思いきやお味噌汁と真っ白なご飯が運ばれてくる。メインはハンバーグであるにも関わらず、ご飯がメインだと思ってしまうぐらい存在感がある。メインのご登場まで、机に添えてあるお漬物とご飯をいただく。ご飯とお漬物のシンプルな組み合わせに安心感と、お米そのものの美味しさを感じ、メインはもしかするとお米なのではないのかと疑ってしまう。ご飯がお漬物だけでなくなりそうだからだ。

 

 

しかし、ここで目玉焼きという黄金の冠を被った主人公のご登場。お米がなくなってしまう前に来てくれてよかったとひと安心。輝く目玉焼きを見ながら、デミグラスソースの匂いが漂うだけで幸せを感じる。ハンバーグを大胆に真っ2つに割ってみると、分厚い肉の層が見える。ここに挟まれたいと思ってしまった。肉の厚みを感じながら、目玉焼きのとろとろの黄身が降ってくる。そんな幸せなシチュエーションはないだろうと夢見ながら、現実に戻って一口いただく。これぞハンバーグだと言わんばかりに肉汁とデミグラスソースの香りが口の中に広がり、夢の世界で想像していた以上に幸せを感じ、夢の世界に行ったきりにならなくて良かったと思った。そして、計画的にハンバーグを半分残して、ご飯をもう1杯おかわり。卵とデミグラスソースがのったハンバーグとご飯のハッピーセットを何度も口にしても飽きない。おかわりは何杯でもいけると思っていたが、満足感でお腹がいっぱいになり、ごちそうさま。和洋折衷という京都らしさを見つけた幸せ、欲張りに優しいメニューであることに対する幸せ、ご飯とハンバーグのハッピーセット、これら全てを足し合わせた幸せが満足感に変わり、その余韻を気持ちとお腹に残しながらお店を出て、秋風が吹く路地を歩くのは非常に気持ちが良かった。