305 YUY BOOKS / DOOKS

 

赤・緑・黄と色鮮やかな本たちが自身の存在感を放ちながら、規則正しく横たわっている305号室は、静かな雰囲気に包まれていながら、視覚的にはとても賑やかだ。外国の雑誌や、日本のものでもとりわけアートブックを中心に集めたこちらのお店はYUY BOOKSとDOOKS(委託販売)である。

 

 

そのYUY BOOKSのご主人であり、NEMURU KYOTO BOOKFAIR運営チームのリーダー的存在でもある小野さんに、京都の中でどこを気に入っているかと問うと、それは「岡崎公園の野球場前」だという。即答だった。たとえ、日本全国から「小野さんの“京都のお気に入り”推測選手権」(そんなものはない)の上位入賞者を緊急招集したところで、手も足も出ぬようなピンポイントな回答だ。よほど「岡崎公園の野球場前」がお気に入りなのだろう。僕も蚤の市などの催しで岡崎公園を訪れる機会は多く、人混みに疲れた時は野球場前のベンチでひと休みをすることがあるから、「岡崎の野球場前」が魅力的だという意見には賛同する。ふと「岡崎の野球場前」を訪れてみれば、運よくレジャーシートの上に座る小野さんに遭遇できるかもしれない。

 

若かりし頃は、映画館でバイトをしていた小野さんは、映画を観るのはもちろん、映画を撮ることにも夢中だった。毎日のように映画館に出かけては貪るように映画を観る。その傍らで実験映像を撮っては自ら編集し、「これじゃ食えんぞ」と言いながらも作品を作りつづけていた。というのも、高校生の頃、ミュージックビデオが垂れ流される衛星放送「MTV」に出会い、映像の世界に惚れ込んだのだそうだ。それから、チェコのアニメーション作家であるヤン・シュヴァンクマイエルなどのアート・アニメーションにどっぷりとハマってしまい、映像の世界から抜けられなくなった。今となっては、デザインや映像に携わっていたり、本を扱ったり、大学で授業をされたり、osanoteでコラムまで書かれている小野さん。正直、いろいろな活動をされているがあまり、何をやっている人なのか、あまりよくわからないが(京都には何をやっている人なのかあまりよくわからない人が多すぎる)、自分の「好き」に対する貪欲な気持ちを持ち合わせているのは確かだ。

 

 

「バイブルの1冊」を尋ねると、手塚治虫の『ブッダ』という答えが返ってくる。曰く、「基本的に何かをしたら自分に返ってくるので、人には優しくしようとしました」と。10代後半の頃、手塚治虫に衝撃を受け、当時はやっていたブルーハーツを聴きながら『ブラック・ジャック』を読んで心が病みそうになったと笑って話す小野さんのことは、ますますわからなく、不思議で、おもしろく、魅力的だと思った。

 

 


 

306 materia prima・Sumie・kione

 

四角形や三角形、台形など、公式を習ったばかりの小学生であればついつい面積を求めたくなってしまうであろう幾何学的な……というか整然とした図形たちが敷き詰められた大きな布がベッドを覆い、その布の上にはこれまた面積を求めたくなりそうな図形が詰められた布の作品が並んでいる。この布たちは、キルトをつなぎ合わせた作品を作るkioneさんのものだ。彼女の作品は心地の良い色をしたやわらかい形の図形が散りばめられている。

 

 

ベッドに敷かれた大きな布の上には、いくつかのきのこの本も一緒に並んでいる。なぜきのこなのかと疑問に思い、置かれていた「眠らぬキノコの勤勉な日々から学ぶこと」というエッセイを読んでみると、この本たちを持ってきたMateria Primaさんがここ1年ほど、京都御所で行われているきのこの観察会にハマっているからだそうだ。なので、この日のMateria Primaさんはきのこの本屋さんというわけだ。

 

この部屋にはさらにもうひと方の出店者がいる。それはSumieさんというボタンのアーティストだ。そう、僕らが服を身に纏う際、必ずと言っていいほど遭遇するあの小さなボタンのことである。そのボタンがひとつずつ並び、誰かの手に渡る機会を窺っている。つまりこの部屋は布ときのことボタンの部屋なのであるらしい。

 

 

osanote編集部がこの部屋へ突撃した時はSumieさんがいらしたので、Sumieさんにインタビューを敢行することにした。関東の美大で衣服造形の勉強をされていた彼女は、明けても暮れても衣服造形の勉強に没頭していたそう。美大でも、とりわけ服飾関係の勉強をしている人は、課題や制作がハードであるとよく聞いている。そこで、どのような勉強をされていたのかと尋ねてみると、「衣服を使ったインスタレーションや素材の追求をやっていた」と。なんだか、聞いているこちらがてんやわんやになりそうだ。しかし、みんなで綿を育て、収穫し、糸を紡いで編むという活動は興味深い。勉学に忙しい日々の中でも土に触れながら衣服の勉強をするのって、なんだか心身に良さそうだし、服のさまざまなことを包括的に知れておもしろそうだ。

 

服にまつわる勉強を経て、服にまつわるお仕事をされているSumieさんは、『流行通信』をずっと読みこんでいたという。特に、服部一成さんというデザイナーが雑誌のディレクションをしていた時期に夢中になって読み漁っていたらしく、全出店者さんの中で唯一雑誌を「バイブル」に上げたSumieさん。創刊と廃刊が入り乱れ、戦乱の世と同じくらい生き残るのが難しい「雑誌」という媒体を作っていた服部一成さんがこのことを聞けばどれほど嬉しいことだろうか。この記事が服部一成さんに届くことを願ってやまない。

 

 


 

307 YOSHIMARU SHOP

 

「あみだくじ」と聞くと、どうしても小学生のころを思い出す。教室の座席や給食・掃除の当番、班決めなど、そこまであみだくじを多用していたというわけではないと思うのだが、どうしてもあみだくじは小学校のイメージと強固に結びついている。

 

今では幾本もの線を並行に引き、その間を繋ぐように交わる線を足してゆくあみだくじだが、昔は線が放射状に伸びていたらしい。まるで色紙の寄せ書きのように。それが阿弥陀如来の頭の後ろにある光に酷似していたことから「あみだくじ」と呼ばれるようになった。と何かの本に書いてあった。

 

 

どうして僕があみだくじについて語っているかというと、307号室にはあまたのあみだがあったからだ。ポップな曼陀羅仕様のクッションもあみだ、人物のイラストもあみだ、ピート・モンドリアンの有名な「コンポジション」まであみだであることには驚きを隠せなかった。よシまるシンさんの作品はあみだをモチーフにしたものが多いらしい。

 

一方、307号室にはあみだのみならず、魚も並んでいる。鱗がキラキラと光り輝く魚たちの目には、まだ生命を感じさせるものがあり、かなり新鮮であると見える。が、これはもちろん本物の魚が並んでいるわけではない。吉丸睦さんはビーズ刺繍のアーティストであり、魚でも野菜でも、なんでもビーズで作ってしまう。NEMURU KYOTO BOOKFAIRで特別に行われたワークショップでは、KéFUのナポリタンを作られていた。

 

 

そんなよシまるシンさんの京都のお気に入りは銀閣寺だ。以前、展示で京都を訪れた際に銀閣寺へ足を運び、感銘を受けたという。円錐にもられた砂の、最大限無駄を削ぎ落とした抽象的な美しさを、『2001年 宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック、米・英、1968)に例えてくれた。ちなみにこの日の朝、208号室で出店されている下平晃道さんと銀閣寺の話をしていたらしい。それで、お2人ともお気に入りの場所に銀閣寺を挙げられるだなんて、とても仲がよいのだろう。

 

よシまるさんは19歳の頃に地元の岩手から東京へ上京。東京の圧倒的な文化の量に驚き、なるべく漏らすことなく吸収しようと、ギャラリーに足を運んでは展示の手伝いなどをしていた。また、当時はインターネットの黎明期であり、HPを作ったりもしていたそうだ。コンビニチェーン・ミニストップの最初のHPを作られたのは、何を隠そうよシまるさんだとか。

 

「バイブルの1冊」を尋ねたところ、『ひとりずもう』(集英社文庫、さくらももこ、2005年)が挙がった。前回の記事で紹介したwellさんでも挙げられた「ちびまる子のその後の物語」である。中学・高校を卒業し、大学に入り、それから漫画家になる。国民的キャラクターのまる子が徐々にさくらももこになってゆく過程に頭がグニャッとなるんだとか。卵が先か、鶏が先か。まる子が先か、さくらももこが先か。この場合は多分、さくらももこが先なんだと思う。