互いに利用し合えるから続いていく。西陣織を次世代に引き継ぐためにできること

 

 

西陣織の中でも特殊な“宗教金襴”を手がける桂機業店

 

—オサノートのフリーペーパー第3号の時はありがとうございました。いただいた糸で、ひとまず500部をつくることができました。

 

なかなか好評みたいやね。いろんな人から話を聞くよ。増刷するかもしれへんとか。

 

—そうなんです。500部を綴じるときは地域の大学生の方や社会人の方が手伝ってくださったんです。手作業で綴じていて様々な工程が発生するので、増刷となると人手は課題ではあるんですが…。

 

西陣織でも一緒やね。糸繰(*1)したり、整経(*2)したり。そういう織ること以外の仕事がたくさんある。西陣織はもともとは家内工業やから、奥さんやおじいちゃんおばあちゃん、子供たちが手伝ってたんよね。

 

*1: 束になった糸を糸枠に巻き取る作業。 *2: 織りに必要な長さと本数のたて糸を用意する作業。

 

—そうなんですね。今日は桂さん自身のことについて話をお聞きしたいなと思ってまして。最初に、いまどんなことをされているか教えていただけますか?

 

僕らがやってる金襴(*3)の中には3つくらい大きな分類があって、僕らのとこは、その中でも法衣を織る宗教金襴っていうのをやってる。他にも、金襴には表装裂地や人形裂地なんかがある。僕らの宗教金襴は、その中でもすごい特殊なんよね。例えば宗派ごとに袈裟の形も違うし、同じ宗派やとしても違うこともあるから。それを注文生産でやってるみたいな形やね。

 

*3: 横糸に金箔を和紙に箔押しして裁断した金糸を使って模様を編み出す織物のこと。

 

急激に減少する需要とその中での役割

 

—最近はお寺の檀家の数も減ってきていると思うんですが、その中で宗教金襴の需要はどんな変化をしているんですか。

 

需要はやっぱり減ってきてる。ただ、需要も減ってるけど、供給する側も減ってるから。全部やめてかはるから。それを吸い上げてくみたいな感じやね。

 

—需要と供給が同じくらいのペースでボリュームが小さくなってる?

 

そうなってる感じやと僕は思う。宗教金襴はさっき言うたようにかなり特殊やから、他のところがなかなか入ってこれないんよね。なぜかというとそんな売れへんから。だって手で織って1日30センチとか15センチとか。それで精一杯みたいな。

 

—需要と供給が減少している西陣織の業界として、課題に感じていることはありますか?

 

ひとくくりにすると分かりづらいんやけど、西陣織のメインの帯・着物とか工芸と比べると、僕らのスタンスは全然ちゃうんよね。彼らはどっちかいうと自分から売る方に長けている。僕らは、完全注文生産やから、ある程度、僕らの技術を知っている人が「これやったらこの人のところにお願いしよう」っていう形。だから、僕らがせなあかんのは間口を広げていろんなものを織れるようにして、人も育てとくこと。どんな発注にも応えられるようにね。

 

西陣の家族は運命共同体。子ども時代に感じていた違和感

 

—桂さんが織りの世界に入ったのはどれくらいの時ですか。

 

35年前やね。もともとは、別の会社で金型の設計をしてた。しばらくしたときに、急に円高になって、その会社の輸出がダメになってきて。それでもういいかなって。合計で4年くらい働いたかな。

 

—その4年の中で、どれくらいから家業を継ごうって考えられてたんですか。

 

特にそんないつからとは考えたことはないけど、やっぱり3年ぐらいはいて勉強したいなとは思ってたから。あんまり今には役立ってへんけどね。

 

—もともと手をつかってものづくりをするのが好きだったんですか?

 

あんまりないかな。別にそんなに器用でもないし、なんとなく。ただ、もともと絵をかくのは好きだった。学生の頃もよく、ノートの端っこに車書いたり飛行機書いたり。それがあったから、図面を書く仕事がしたいなとは漠然と思ってたね。

 

—桂さんの子ども時代はどんな感じだったんですか。

 

僕はずっとここ西陣で育った。近所にある乾隆 (けんりゅう) 小学校を出て、大学は大阪やったけど、その後就職で京都に帰ってきて。そのときって西陣は勢いがすごかったんよね。お金持ちがいっぱいおったから。みんなビル建てるぐらいの勢いで。でも僕らは、家内工業みたいな形でやってたからあんまり関係なかったな。

 

—本当に西陣織と一口にいっても全然ちがうんですね。

 

そうやね。大きいお店をやってる人になるとこの辺りには住んではらへんかったね。もっと広い土地がある岩倉の方に住んでる人が多かったんちゃうかな。ぼくら職人の息子は、自分の家で家族総出、職住一体でずっとやってた。

 

—今も家族みなさんで仕事をされているんですか?

 

僕のとこは、奥さんは奥さんで別の仕事をしてる。けど、今でも奥さんが手伝ってるところは多いと思うよ。給与はただやけど、仕事を手伝うのが当たり前というか。西陣に嫁いだ限りは、運命共同体やから織りのことを手伝いなさいみたいな。そんな文化はあると思う。僕らの親もそう思ってたみたい。ただ、ぼく自身は小さいときに母親が家事をやりながら仕事をするのを見てて、ちょっと嫌やったんよね。

 

—それは、桂さんの目にしんどそうに映っていた?

 

いや、そうじゃなくて。そんな織りを中途半端にしててええんかっていうところ。やるんやったら、家事も一切せずに朝から夕方までちゃんと働くっていう形やったらええけど。それなりに技術がいることやから、そこら辺はきちんとしとかなあかんやろなと思う。なんか織りながら、ちょっと抜けて洗濯物を干してくるわみたいな。それはちょっと嫌やな。だからうちは家族みんなじゃなくて、職人さんを雇ってやってる。

 

西陣織を続けていくために、利用し合える関係を築く

 

—桂さんは、織り以外にも地域を巻き込んだ様々なプロジェクトもやっていますよね。

 

仕事で得た知識がある分、織りについての情報や技術をぼくが持ってて、それを知りたがってはる人が自然と声をかけてくれる。この15年くらい、乾隆小学校の総合学習で幡(*4)をつくる授業をやってるんやけど、嵯峨美術大学の学生さんや先生たちも西陣織について学びたいと思ってくれはってて。ぼくも高齢やから引継ぎせななとは思ってて。それで、学生さんにも入ってもらって、今は嵯峨美のカリキュラムのひとつにもなってる。

 

*4:布などを材料として装飾を施し、高く掲げて使う道具のこと。

 

 

—桂さんは、人同士を結びつけていくのが上手ですね。

 

他にも、金襴展いうのもやったりもしてるけど、結局それも人同士をうまくくっつけて、お互いに「知りたい」とか、「やりたい」とかそういう思いが一致するように繋げていく感じやね。いい意味でお互いに利用し合えるというか、そういう関係性がええんとちゃうかな。

 

—桂さんが、織り以外のプロジェクトをやり続けたいという根底にあるモチベーションはなんなんでしょう。

 

どう言ったらいいかわからんのやけど、最初そんなにこんなたいそうになると思ってへんかったから。ただ単純に学生に手伝ってもらいたい、引き継いでもらいたいっていうのがあって。僕としては、いろんな意味でいろんな人に助けをこうてるだけ。だからそれが繋がってるだけなんやと思う。幡の授業の関わりでもそうで、お互いに利用しあえる関係やと続くやん。そうやって、続けてったらええんかなって。