「写真」で暮らす
仁科:岡安さんが写真をお仕事にされるようになったきっかけはどういうところにありますか?
岡安:はい。もともと音楽が好きで、中学生くらいの頃からずっと音楽の仕事をしたいという志を持って、いろんなことを試してきたんですけど、結果として今、残ったのが写真でした。なので、すごい根元で言うと音楽の仕事がしたかったんです。
カメラマンを具体的に始めたきっかけは、2013年に京都で『ANTENNA』というメディアを立ち上げた時、身の回りにカメラマンがいなかったので、誰にも頼めないくて自分で撮り始めたのがきっかけでした。
仁科:へぇ〜。でもそこから、スタジオでご勤務もされたんですよね?
岡安:はい。写真を始めたときにはライブハウスで経理をしていました。ライブハウスの経理をしながらメディアを作って、写真を始めて。なので会社員をしながら、休日を使って音楽写真――ミュージシャンのライブやアーティスト写真――を撮っていたんですけど、バンドからの仕事の発注がすごい増えた時期があって、それが会社員の有給を使わないと仕事に行けない状態になったときに、カメラマンになろうと思いました。お金になる写真ってどんな写真なのかなという疑問があったので、結婚式の前撮りのスタジオで半年間働いていました。
仁科:ご出身が茨城県だと思うんですけど、そのご修行は関西の方だったんですか?
岡安:関西に来てからです。
仁科:いつ頃関西に?
岡安:2012年に来たので、今年で丸10年京都に住んでいます。
仁科:『ANTENNA』というメディアはものすごく格好良くて、それで熱がある。東京に比べて文化・カルチャーの発信に対する度合いが京都には少ないというところから始まっているメディアです。その時から文章を書かれていたんですか?
岡安:写真よりも文章が先だったんです。もともとライターをやっていて、その後カメラマンを始めました。大学在学中にフジロックの速報サイトで、プロのカメラマンさんと組んで、レポート記事を作るというライターをしていました。そこで音楽の仕事の種類としてライティングもあれば、写真家という道もあるんだなと認識をしました。それで、ライターとして京都にやってきて、メディアを作ろうとバンドマンの友達に声をかけて、メディアを作りました。でも記事にするなら写真がいるから、それでカメラを本格的に始めたので、実はライターが先でした。
仁科:そういった土壌があって、それで今のパワフルな岡安さんが出来上がっているんですね。その道に対する迷いというか、壁みたいなものは途中でありましたか?
岡安:本業ではなかったので、本当に好きなことを好きなだけやってきました。ウェブサイトをお金にするためには閲覧数が重要になってくると思うんですけど、趣味だったのでそういうのは度外視して、とにかく自分が好きで面白いとか格好いいと思うものを取り上げようと思ってやっていました。
プロのカメラマンと一緒に仕事をしていたので、自分の写真は下手くそだなと思っていたんですけど、もっと上手くなりたいという気持ちが前に出ていたので、誰にも見られていなくても頑張ろうという感じでした。
仁科:自分はスタジオで勤務をしたこともないし、どちらかといえば野良のような感じで、肩書きとして先に写真家を名乗るようになってしまったので、一定期間の修行を経ていないというのは自分の中にはちょっとした劣等感があります。岡安さんはそういうのも関係ないでしょ?という視点ですかね。
岡安:そうですね。私は「私の写真なんて…」とずっと言っていたんですけど、ずっと依頼をくれていたバンドのボーカルに「おれが良いと言っているんだから、そろそろ自信を持ってよ」と言われたことがきっかけで、自分の写真をいいと思ってくれる人がいること認識できました。そこから自分の意識を切り替えて、お金をもらう・もらわないどちらにせよ、自分の写真には自信を持って、被写体の人にちゃんと還元できるように頑張ろうと思いましたね。
仁科:やっぱり自分の自信は大事ですよね。
ぼくも前職を辞めて、丸裸で上京したその1カ月後に自分ではありえない仕事のお話が来たんです。なにもわからなかったんですけど、でもがむしゃらに撮ったら、一応仕事にはなるんだと。自分自身がそんなに変わった気はしなかったんですが、環境が変わったり相手の見方によって自分の評価のされ方があまりにも変わって、それがものすごくショックだったし、自分に自信を持つということの必要性をすごく感じて、堂々としなきゃいけないんだと感じました。
岡安:いきなり上京ってすごいですね。なぜいきなり上京しようと思ったんですか?
仁科:学生の間、1741ある日本の市町村を写真を撮りながらスーパーカブでコツコツと回っていたんですけど、それが終わったタイミングで、みなさんがわーっと自分のことを見てくださるようになりました。「ほぼ日」の糸井重里さんが見つけてくださって、KADOKAWAさんからは『ふるさとの手帖』という本を出させてもらったんです。そのタイミングで「ほぼ日」さんから渋谷のパルコでの個展のお話をいただいて、それって当時23〜24歳の自分が写真の展示を東京でさせてもらうなんてあり得ない話で。でも自分は倉敷で勤めているので、そこに行こうと思ったら仕事を辞めるしかないけれど、こんなチャンスは一生あるかわからないし、もしこのチャンスを逃したら一生後悔するような気がして。まだ勤めて5カ月くらいのタイミングで仕事をやめて、展示に行きました。そうしたら展示でいろんなご縁をいただいて。無職だったので写真家と名乗って上京するしかないと。
岡安:東京での仕事をたくさんもらったんですか?
仁科:まだその時は仕事があるかはわからない状態で行きました。
岡安:それで東京ってすごいですね。
仁科:コロナ禍、2020年の秋に何もわからない状態で東京に行って、なにもかもわからなかったんですけど、展示に有名な出版社の編集長さんが見にきてくれて、「とりあえず会社に来てみな」と。要は自分の作品を持ってきたら、お前の作品が良いかどうか見定めてやると。「映画みたいなやつだ」と思いました(笑)。それで自分の作品のポートフォリオを急いで作って、会社の前でめちゃくちゃバクバクで、「みんなすごい人に見える……」と思いながら行きました。もちろんその場で仕事をもらったわけではないんですけど、そこに自分と同い年の人がいたりして。
技術とか才能も大事なんですけど、何よりも人と人とのつながりの中で成り立っているというのが徐々に見えてきて、メールやお礼のやりとりだとかで数珠つなぎに人とのご縁が繋がっていくんだというのを感じたから、今は仕事は来ないかもしれないけれど、ゆくゆくはそれが巡り巡ってくるんじゃないかなと感じるようになってからは、だんだんと心が落ち着いてきて、結果的には少しずついろんな仕事をいただけるようになったんです。今はほふく前進みたいに這いつくばって生きているんですけど、自分が今生きているだけで丸儲けだし、不思議だなと感じながら今に至ります。
岡安いつ美……京都在住のフォトグラファー。ウェブディレクターをする傍ら京都のインディミュージックやローカル情報を発信するメディア『ANTENNA』を立ち上げる。ウェブディレクター、スタジオカメラマンを経て独立。
仁科勝介……写真家。大学時代、日本のすべての市町村に行ったことがある。『日本よはじめまして』(自費出版)や『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)などを出版。写真館勤務を経て2020年9月に独立。あだ名はかつおさん。