生きてきた文脈と西陣②

 

うららかな秋日和が続いた11月と打って変わり、12月に入って一気に冬となりました。京都に住み始めて驚いたこととして、季節間の寒暖差の激しさがあります。夏は(滅茶苦茶)暑く、冬は(滅茶苦茶)寒い京都の振れ幅には4年目になっても慣れません。特に冬は身体を芯から凍りつかせるような「底冷え」があり、今年もその気配がうっすら感じられるようになってきました。

歳時記を引くと、冬の季語として「極月(ごくげつ)」というものが記載されています。これは陰暦12月の異称であり、いかにも1年の「極まり」という語感がある一方で、京都の厳しい寒さと照らし合わせると新たなニュアンスが出てくるように感じます。厳寒の極まりの向こう側に、微かに感じる春の存在。

 

西陣についてのコラムなのに私個人の話をしてばかりですが、西陣を切り取る上で重要な要素になってくるのでもう少しお付き合いください!

 

〇1回生

2019年4月に同志社大学へ入学し、同時に「西陣」に住み始めた私が初めに感じたのは、その地域の「住みやすさ」でした。私の実家は周りを田畑に囲まれた田舎にあり、主な移動手段は車でしたので、歩いて行ける距離にコンビニやスーパーや飲食店、さらには郵便局から銀行の支店まであることに、当時は「なんて便利な場所なんだ!」と感動したことを覚えています。地方かつ田舎で18年間を過ごした者にとって、「西陣」はひとつの「都会」としてその眼に映っていました。

 

一方で、スタートした大学生活は地味なものでした。それほど賢いわけではない私は受験勉強で疲れ果て、完全に燃え尽き症候群になっておりました。志したはずの社会学にもどうにも興味がわかず、一般教養や外国語の講義に単位を取得するためだけに出席する日々が続きました。「大学つまらないな」と思うようになった私は、そのつまらなさを埋めるものとして自然と読書をするようになっていました。私自身の社交性の欠如も最たる要因ではありましたが、生協では本が10%引きで購入できたり、大学図書館には公共図書館とは質を異とする面白そうな蔵書が沢山あったりと、志向すれば読書に没頭できる環境が整っていました。同じ高校から経済学部へ入学した友人が凄まじいテニサーで発散的に大学生活を謳歌し始める中、私は図書館の建物に守られた日陰者としてポジショニングをとるようになりました。てきとうに講義を受け、時間があれば好きな本を読むという形で質素な一年が過ぎていきました。

 

当時はほぼ小説を読んでいて、津島佑子の『悲しみについて』とか、こんな小説があるんだって感動したりしていました。図書館好きが高じて司書資格も取得しました。定年後はデジタル化が加速した社会に生きる子供たちへ紙芝居を読み聞かせるのが夢です。

 

〇2回生

2020年に入ると、2月頃から新型コロナウイルスが流行し始めて社会全体に絶大な影響が及びました。私自身も愛する京都から実家へ一時的に疎開し、当時は目新しかったZOOMを活用した講義を三重県から遠隔受講していました。

 

その学期の講義の中にプレゼミ的なものがありました。指導教員の専門はフランス郊外研究(※2020年当時)。なんと地味な…というのが当初の本音であり、フランスかつ郊外という二重の興味のなさに絶望していましたが、話を聞いたり著書を読んだりするうちに「郊外」をはじめとする都市というものが如何に「社会」を反映しているのかということを知ってのめり込むようになりました。

例えば、私の地元は中京工業地帯の一角を担う四日市コンビナートに近接し、従って工業高校も多く、公立中学校などでも工業高校へ進学してそのまま就職するライフコースがひとつの主流として形成されています。データの関係上2015年同士で比較しますが、日本全体の第二次産業従事者が24.6%なのに対し、私の地元は36.8%に上るなど、やはり優位に高い傾向が示されます(実際私の実家も町工場です)。ある社会学者が「空間は社会の投影である」(カステル)と指摘していますが、「工業社会」のような大きな枠組みが影響を及ぼす形でその地域における方向性を形成し、また居住者の性質などもある程度規定しているのだな、というのは、「住む場所なんか高級住宅地以外はさして変わらない」と思っていた自分にとって結構な気づきでした。そしてこのことを素直に面白く感じられたのが、私を社会学へ再度向かわせてくれるきっかけとなりました。

 

〇そして誰もいなくなった

流行り病による社会変動の片隅で、並行して私の人間関係にも甚大な危機が訪れました。こんな私にも仲の良い友人が3人ほどいたのですが、コロナを機に人生を切り替える者が2人おり、2人とも大学を退学してしまいました。最後の友人も韓国人留学生ということから3回次に休学して兵役に赴いてしまい、大学内における社会関係が3回生をもって途絶えてしまいました(
兵役に行った彼も最近辞めました)。

 

衝撃的というかあまりに想定外な出来事でしたが、こんな体験は非常に稀であると思い、むしろ幸運な気も微かに感じられたため、無理矢理友人を作らずもうやりたいことをしようという前向きな諦めで3回以降を過ごすようになりました。
ただ、コロナを機に退学した2人は野望を持って退学しており、2人ともそれぞれの分野で結果を出しています。ひとり大学に残された私ですが、大学でできることを2人と同じ水準でやろうと思い、個人的に取り組んでいます。

 

やりたいことのひとつに徒歩帰省というものがあり、昨夏実行しました。26時間くらいで歩いて帰れました。最後の方は幻覚が見えたりして貴重な経験になりました。

 

〇西陣を社会学する

半ば自暴自棄にやりたいことをすると決心した私は、どうせなら卒論もちゃんとやりたいなと思うようになりました。3回生になってテーマを決めるあたり、興味のある都市社会学の分野でどこをフィールドとしようか、と考えたとき、真っ先に浮かんだのが西陣でした。
西陣地域は周知の通り、従来西陣機業を中心に展開されてきた伝統ある地域です。しかし、2019年からこの地で生活する中で、機織る姿や織機の音色といった西陣織的な面影はほぼ感じられることがありませんでした。一方で、古風な家々の間に聳え立つ共同住宅は異様な存在感を放ち、日中はその入れ物から出てきた学生が西へ東へと自転車を走らせる姿が目立ちます。西陣という地域は学生街的な側面に変化しているのかな、と生活しながら漠然と感じていました。

 

一方で、西陣地域には「面白い」お店が多いなと感じる部分もありました。何年か住み続ける中で、西陣には拘りを持った喫茶店や料理屋さんが点在し、なんとなくそれらが醸し出す雰囲気があるなと感じるようになりました。勿論KeFUさんもそのひとつです。西陣という地域は何らかの社会変動を受け、伝統的な側面は見えづらくなっている一方で、共同住宅や新しいお店といったものが新たな展開として、つまり「社会の投影」としての西陣があるのかな、ということを仮設立て、その中でも私の感じる「面白い」雰囲気をテーマとしたいな、と据えたのが西陣研究のきっかけとなりました。

 

今回も長々と失礼しました。次回は西陣の何が変で何が面白いのかを、調査結果とも照らし合わせて書きたいと思っています。
お読みいただきありがとうございました!