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西陣にまつわる人々が、毎日綴るリレーコラムCOLUMN

2021.08.20
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眼鏡が日本に上陸したのが1551年。フランシスコ・ザビエルによって大内義隆に献上された眼鏡が最初とされます。その眼鏡も戦乱で所在不明となり、現存する最古の眼鏡で史料の裏付けが有るのものは、徳川家康の阿蘭陀(オランダ)眼鏡となります。

1600年代初頭。日本に製法が輸入され眼鏡が作り始められました。それまで出島交易に頼っていた眼鏡も、次第に国内生産品に移行していきました。

日本での眼鏡生産は、初期には錺職人に担われました。欧州から輸入された眼鏡は鼻の高い欧米人向けのものでしたが、次第に私たち日本人の骨格に合うように様々に工夫がされて、機能も補完されていきました。また江戸町人文化に受け入れられ、市中に馴染んでいきました。

明治以降、西洋文明との再合流によって、いつしか眼鏡は西洋風のものと認識されていきましたが、手作りの伝統は今でも私の工房に受け継がれています。

自分はテルマエ・ロマエ風に云うと、日本人の“顔平べったい族”的骨格は、実は多くのデザイン量を消化できる可能性を持つと考えています。そして眼鏡に「和」という言葉を載せただけで、様々な意匠が生かされることがわかります。そこには今までにない新しい眼鏡の形、私たちの住む風土になじみに良い眼鏡の姿が浮かんできます。

山ノ瀬亮胤

眼鏡制作者・現代美術家・ソシエテヌーベルリュネト視覚研究所々長山ノ瀬亮胤

京都市上京区在住。眼鏡制作者・現代美術家・ソシエテヌーベルリュネト視覚研究所々長。芸術~工芸に拡がる独自分野の構築で国内外より評価され欧州ハプスブルグ家御用達。マスメディアでの出演・取材多数。豊かな江戸庶民文化と職人の心を紹介している。