西陣にまつわる
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石崎立矢

石崎立矢

東大阪・石切生まれ。学生時代からの京都歴 33 年。京都と滋賀がエリアの新聞社に勤めて各地を転勤し、 先々でまちの面白い動きに首をつっこむ。近年は、地図をまちづくり・まち歩きに 生かし、楽しむ「上京ちず部」を立ち上げ、ネット上で地図を共有したり、地図を集めたり囲んだり作ったり.…を楽しんでいる。まちの情報交換の場「上京朝カフェ」(第4木曜朝)を主催する。放っておくと消え去ってしまいかねない情報を囲んで共有し役立てるために「地図・場・ローカルメディア」の活用を提唱している。

2021.08.11
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「あなたがイメージする『西陣』の範囲を教えてください」。そう問われ、白地図とペンを手渡されたら、どんな形を白地図に記すだろう。
「西陣」は、地図には無い地名。たしかなのは、応仁の乱で山名氏側の西軍が拠点を置いたのが西陣の名の起こりであること、その後に西陣織が産業として発展したことが、強い地域ブランドとなっていることだ。
あるイベントで、冒頭の問いかけを来場者の皆さんにした。
観光客は西陣織会館周辺に小さな丸を書いた。産業振興を担当する京都市職員は北、上京区の市街地全域を大きくくくった。生活文化に詳しい地元住民は「職人さんの話し言葉が、この辺から変わるねえ」と思案しつつ、細かく線を動かしていた。皆が書き込んだ白地図を重ねると、東西は堀川通~七本松通、南北は出水通~北大路通あたりに多くの線が並んだ。
正解は無いが、すべてが正解とも言える。暮らしや仕事、生い立ち…。経験から見える「西陣」は人によって違う。どの地域でも、誰の頭の中にも、その人なりの地域の地図がある。白地図に線を書き込みながらそれぞれの人が問わず語りに言う「地域との関わり」を聴くのは、楽しい経験だった。