いつもは18時までのカフェの営業を20時まで伸ばして「夜カフェ」を実施しました。初回は「語り合う」ことをテーマに据えて、立ち寄られた方と過ごしました。平日の夜ということもあり、ゆったりとした時間が流れていた冬の夜のひとときをosanoteメンバー/カフェスタッフの黒田がレポートをさせて頂きます。
日が沈んで夜がおりてきた路地にKeFUのカフェから橙色の明かりが漏れる。ひっそりと夜カフェがはじまる。
カフェのカウンターにはその日に焼きあがったマフィンが並べられていて、自家製レモネード・カクテルなどお酒のメニューも。

なんでもない日の夜にお酒とお菓子。どことなく、ひみつの夜。ないしょのきらめき。
カフェのテーブルにはフリーペーパー版のosanoteやスタッフからの質問が書かれた「話題カード」が置いてある。それぞれがドリンクや焼き菓子を片手にテーブルに着き、osanoteを手に取ったり、居合わせた人同士で、はじめまして。お久しぶりです。と話しがはじまる。
居るための場所があるために居る
「私たちもフリーペーパーを制作しているんです」
西陣で福祉施設を運営している方がわたしに話しかけてくれる。
その方は福祉施設での出来事を読者がより身近に感じてもらえるようにとの思いからあたらしくフリーペーパーを発行し、そこに関わる人々目線で記事を書くという構想を持たれていた。フリーペーパーと福祉の話題から臨床心理士の東畑開人の著作「居るのはつらいよ」(医学書院)の話しになる。この本は東畑がデイケアで働いた体験から綴ったケアと「ただ、いる、だけ」ができる居場所をめぐる考察だ。

「この西陣にもいくつもの居場所がありますよね」
例えば、千本通沿いにあるわたしの行きつけの美容室では近所の人がわらわらと集まってくる。ただコーヒーを飲んで世間話しや住人の噂話に興じるご婦人方、美容室にいる猫を撫でながらお菓子をぽりぽり食べる小学生たち、シャンプーチェアで丸まっている猫。
千本今出川の交差点あたりでは東南アジア系の若い人たちが、朝早くにコンビニで買った朝ごはんを食べながら話をしている。もう冬だというのにおしゃべりのパワーなのか、おいしそうに、たのしそうに話すのを横目に私は仕事へ向かう。
明確に運営者がいる場所とそうでない場所が入り混じって、西陣にはさまざまな性質の集まる場所がある。
その方はそれぞれの居場所の入り口として運営されている福祉施設が機能できないかと考えていらっしゃった。より多くの人にとって来てもらいやすい場所にするためにはどれだけ管理するか/余白を残すかの塩梅を検討されていた。やがて宿泊施設と福祉施設という異なる場所で人と「居る」ことについての話題となった。
「居場所ってなんなんでしょうねぇ」
あらためてKéFUという場所がどんなところなのか考えてみるきっかけになった。旅する人と住む人が交わる場所。移動する人と根を張る人が交差する時間。近所に住む西陣織職人のおばあちゃんとフランスから来て滞在しているテキスタイルアーティストがなぜだか一緒の空間でコーヒーを飲んでいて、少しだけ時間を共にする。それは滞りなくすすむ日常にゴロッとした手触りが入ってくる時間だ。その時間には管理し切れなさ、グレーな領域が残っている。KéFUで働いているとすこしだけ日常が揺らぐ。そういうことがときどき起きる。
時間が経つと居場所は変化していく。常連さんが来なくなる、スタッフが退職する。近所に新しい家族が引っ越してくる。そういったことで少しずつKéFUという場所は変化してきたと思う。国家単位では居ることは保証されなければならないが、民間のそういう場所での「居る」は続いていくことの中にゆらぎを内包している。
そんなことをその方と話しながら隣のソファ席に目を移すと欧米からのゲスト同士が会話をしている。ここで出会って意気投合したらしい。
「あ、じゃあ、ちょっとosanoteを拝見させていただきますね」
ひと通り話し終わりその方と解散し、互いにひとりになる。

昨日あったことをちょっとだけ思い出してみる
別のテーブルにはKéFUスタッフからのささやかな質問が書かれた「話題カード」が束ねて置いてあり、夜カフェに来られた方とosanoteの担い手たちが話している。私もそっと近くの椅子に座って耳を傾ける。
「洗濯物は毎日洗っていますか?」「パンは好きですか?」などの日常的な質問が続く中、「これって自分だけだと思う自身のこだわりは?」というようなすこし立ち止まって答えを考えないといけないお題が出てくる。
机を囲んだみなでうーんと悩む。
言葉になっていなかったそれぞれが過ごしてきた日々の断片が、ここにいない誰かが書いた質問によって思い起こされていく。すーっと流れていった日常の出来事が粒立ってくる。一人がパッと顔を明るくして質問に答える。その言葉によって別の誰かの答えが引き出されていく。それが連鎖してぽつぽつと質問に答えていくと20時をまわり終了の時間になった。
ソファで談笑していた海外のゲストはもうおらず、わたしと居場所の話しをしていた福祉施設の方ももう帰られている。
これにて今回の夜カフェはクローズとなる。
透明な日々にふれる
2年ぶりにosanoteの記事を書いた。この2年間も日常は繰り返した。滞りなく進むことによって記憶に残らない。ふつうの日々は覚えていないこと自体が証拠になる。当たり前なことは透明になる。
道がきれいなのは箒で掃く人がいるからだ。お地蔵さんの湯呑みに水が汲んであるのは手を入れる人がいるからだ。ふつうの日々は仕事未満の仕事が支えている、とも言える。osanoteの活動をしているとそういう西陣の景色が見えてくることを改めて実感した。
osanote再開のアナウンスも込めて実施した今回の夜カフェ。
そのことについては新たに加わったosanoteの担い手が次の投稿であらためてお知らせしてくれます。また、次回の夜カフェも準備中で年明け頃にはご案内できると思います。
さてさて!今日は大晦日ですね。それではみなさま、よいお年をお迎えください。