「まち」で暮らす

仁科:上京して2年くらいになるんですけど、自分は東京のことをあまりにも知らなかったんです。街のことを知らないけれど、「東京で生きている自分」って満足をするのがものすごく嫌で、東京23区の駅を周りました。23区の490くらいある駅を全部回ろうと思いまして……。

 

岡安:たくさんあるものを制覇するのがお好きなんですか?(笑)

 

仁科:いや違うんです(笑)。自分の行き道がそれしかないんです。

 

岡安:全部見てみるしかないという感じですか?

 

仁科:そうです。でも結局、全部を見ても何もわからないんですよ。見れば見るほど、知れば知るほど知らないということは増えていくので、そこに対しては際限がないとすごく感じています。でも、だからと言ってなにも知ろうとしないのは違う。まずは自分で見ないと自分の言葉で語れないと思っていて、自分はあまりに東京を知らないなと感じている。だったらまずは自分で歩こうと思いました。
そこから自分にとっての東京の視点がだいぶ変わってきました。ぼくは岡山県の出身なので、どれだけ先入観を排しても、メディアを通して見る東京の映像の刷り込みが絶対にあるわけで。でも周れば周るほど普通の暮らしがあるんです。子供たちが放課後遊んでいたりとか、おじいちゃん・おばあちゃんがお話をしていたりだとか。「東京」という名前の概念にものすごく囚われていたなと感じました。
やっぱり自分の中のささやかな幸せや生きがいは、場所よりも編んできた日々にあるんじゃないのかなと感じて、そのタイミングで京都という町に出会いました。例えば西陣という町は、京都市の中でもどちらかというと観光地ではなくて、住宅街ではあるんですけど、お店もあって、人と人の距離がものすごく近くて、みなさんが自分の軸を持って生きていると感じました。
岡安さんが2週間くらい前に「私はもう東京には住まないだろうな」とツイートされていたじゃないですか。京都にお邪魔している立場のぼくからすると、10年くらい京都に住まわれている岡安さんは町に対してどういうご印象があって、どう感じていらっしゃるのかなというのを伺いたかったです。

 

岡安:そのツイートは、東京の渋谷で仕事をした時ですね。やっぱり渋谷駅は人が多いなぁと。それを東京の友達に話すと、「京都駅も大概じゃん」と言われたんです。でも東京の人の流れよりは京都の人の流れ方が好きです。京都はめっちゃ笑っている人とめっちゃ歌っている人が多い印象で、なんて陽気な町なんだろうって京都に来てすぐに思ったんです。
関東の実家に帰ると、やっぱりみんなすごくせかせかしていて、我先にというか、すごく無機質な感じあります。中央線沿いの大学だったので、学生時代は新宿とか荻窪でバイトをしたり、都会っぽい遊びをしていたんです。自分の居場所を東京では見つけられなくて。
でも京都に来てみたら、たまたま就職先がライブハウスだったというのもあって、仲間もたくさんできたり、それこそ木屋町で友達が働いていたり、飲み屋で友達に会ったり、どこのライブハウスにも知り合いがいて、自分がここにいてもいいんだなとか、ここにいることが馴染むという感覚が京都にはあるんです。
この2つ。人が楽しそうにしているのと、自分の居場所があるという感覚。東京に帰るとひとりぼっちのことが多いので、そういう意味では、仕事がいくら東京にあっても、東京は仕事の単価がいくら高くても、京都で十分働けているので、それでもいいのかなと思っています。

 

仁科:でも、東京の23区にも公園で囲碁を差しているおじさんとかいるんですよ。ぼくは「東京」という名前がいけないんだと思ったんです。「東京」という名前が概念になっている。自分たちの幸せは「東京」という名前ではなく、自分たちの心で決めていくべきなのに、固有名詞が強すぎて、偏見を持ってしまったりとか、違うフィルターを通してしまう感覚があります。23区を歩いていると、東京に住んでいる人たちがすごい好きになったんですよ。東京は「東京」という名前によってフィルターがかかりすぎていて、ぼくはそれを壊したいという感じがあります。

 

岡安:壊したい。

 

仁科:もっと東京も普通でいいし、全てが東京にありますという感じになると、逆に日本全体のバランスが崩れてしまう。今、日本全体で人口が減っていて、一極集中がどんどん進んでいる中で、地方と都市はどちらも必要で、お互いに尊重し合わないといけないと感じていて、それを写真を通してやりたいです。

 

岡安:今の話を聞いていて、それこそ概念としての「東京」をすごく消費していたんだなと実感できました。たまに浅草のちょっと外れたところに行くと人の気配があって、生活があるんだと実感はしているんですけど、いかんせん周り切れない。490駅を歩くとか……。何日くらいかけてまわったんですか?

 

仁科:10カ月くらい。

 

岡安:10カ月!どういう日程なんですか?

 

仁科:日の出から日の入りまで。1日20〜30kmくらいで、いちばん多い時は45kmを1日で歩きました。

 

岡安:若さゆえですね。

 

仁科:(東京から来られたお客さまに対して)23区の中にお住まいですか?

 

お客さま:そうです。私は23区で生まれ育ったので、逆に東京って狭いなと思っちゃいます。渋谷にいったら中学・高校の友達とすれ違うし、すごい狭さを感じています。

 

仁科:狭いんですか。ぼくにとって「狭い」って京都市とかの感覚です。京都市内で生まれた方はいらっしゃいますか?

 

(誰もいない)

 

岡安:意外といないんですよ(笑)。

 

仁科:京都市内にお住まいの方は?

 

(半分ほど挙手)

 

仁科:KéFUのマネージャーの横山さんは、京都は狭いとか広いとか感じますか?

 

横山:私も20代の時、東京に6年住んでいました。京都はすごく狭いというか、「京都では悪いことできないよね」とよく言います。それくらい京都ではよく知り合いに会うし、知り合った人が知り合いの知り合いみたいなことがよくあるので。

 

仁科:結論的には京都でも東京でも悪いことはできない。「どこでも真っ当に生きろ」と(笑)。
そっか。でも、少なからず町の違いはきっとあると思いますし、その中で自分に合うような場所があって、それぞれみなさんにとっての心の拠り所があって、そこに来るのがいいなと思います。

 

岡安:それを見つけるのが難しいですよね。一緒に東京から移住してきてライブハウスで働いていた同い年の友達は半年で帰っちゃったんです。私はたまたま人が集まるライブハウスで働き始めたからすぐに友達の和が広がったんですけど、その子は「誰と遊んだらいいかわからない」と言って帰っちゃって。
だから私はけっこうラッキーだったんだなと思いつつ、それを自分でどう探すか。移住して1年住んでも仕事が忙しすぎて友達がいないという人にもよく出会います。地元に帰れば友達がいるし、そっちの方がいいと思う人も多いのは現実なので、まさに拠り所をどう見つけるかとか、移住してくる前にどれだけリレーションを築いておくかが大事なのかな。

 

仁科:岡安さんはこれからも京都を拠点にされたいですか?

 

岡安:実は活動拠点を海外に置くという視野もあって、だからどこでもいいかなと思います(笑)。

 

仁科:どこでもいいんですか?

 

岡安:最近だと山形がいいなとは思います。フリーペーパーを作っていて、次の映画特集のために「山形国際ドキュメンタリー映画祭」という映画祭の取材をしました。けっこういい歳をしたおじさんたちが一生懸命映画祭を作っていたり。あとはチェーン店が並んでいない駅前の街並みが好きで、山形市はありだなと思っています。

 

仁科:駅前にチェーン店がない場所は本当にいいですよね。大きな資本が勝っていく感じがすごく悲しいんです。日本があるべき姿ってその逆だと思うんです。どうやったら食い止められるんですかね。

 

岡安:なんかすごい大きな話(笑)。
でも自分たちで何かをしようという意思を持った人たちがいる町に私は惹かれます。京都の駅前にはチェーン店がたくさんあるけど、ちょっと町から外れると生き生きとお店をやったり、そこに人がたくさん来るというのが京都の面白い点だと思っています。東京だと家賃が高くてできなかったことが、京都ではチャレンジできるかもしれないとか、そういう点では京都にも面白さがあるというか。

 

仁科:そうですよね。やっぱり人と人のつながりだと感じていて、日本の市町村を周って、例えばもう1回どこに行きたいかと聞かれると、知っている人のいる場所なんですよね。自分たちの生き方としては、人と人が気軽に繋がり合って関係し合えるような中で、生活できる暮らし方や町の形を自分で探すのがいいのかなと考えています。そういう感じですよね。

 

岡安:そういう感じですね。

 

仁科:そういう感じなんです。

 

 


 

岡安いつ美……京都在住のフォトグラファー。ウェブディレクターをする傍ら京都のインディミュージックやローカル情報を発信するメディア『ANTENNA』を立ち上げる。ウェブディレクター、スタジオカメラマンを経て独立。

 

仁科勝介……写真家。大学時代、日本のすべての市町村に行ったことがある。『日本よはじめまして』(自費出版)や『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)などを出版。写真館勤務を経て2020年9月に独立。あだ名はかつおさん。