第1回

いちばんここに似合う人

No one belong here more than you.

 

ミランダ・ジュライ 著
岸本佐和子 訳

 

 

“私は靴を脱ぎ、ふとんの中にもぐりこんだ。目を閉じるのよ、そうささやいて目を閉じ、今が夜だと信じこもうとした。今は夜で、私のまわりに世界はちゃんとあって、ただ眠っているだけなのよ。いま聞こえるこの息の音は私の息ではなく、世界じゅうの動物たちの息の音。動物も、人間たちも、あの男の子も、彼の犬も、みんなみんないっしょにここにいて、みんな寝息をたてている。この大地の上で。夜に。”
—「ラム・キエンの男の子」

 

暮らす、ということはどういうことだろう。朝起きて、それぞれのルーティンをこなし、活動をして、また眠る。自分の中の好きなところにも嫌いなところにもうんざりして、ときどきはかわいいなと思う。もしかしたらそこで誰かと何かを築くかもしれないし、しないかもしれない。否応なしに生かされているこの世界で、わたしたちが日々暮らしていくには少しの技術と建前が必要だ。

 

縁もゆかりもなかった京都、西陣に暮らし始めて13年になる。いや、最初は少しだけ理由があった京都暮らしだったけど、今はもう、明確で大きな理由はなくなり、ここが自分の居場所になってしまった。明確で大きな理由がなくなったので、西陣の前に住んでいた京都のとある街に行くことはもう二度とないかもしれない。

 

“今日という日はわたしの残りの人生の八番めの日。でも本当にこれって残りの人生なんだろうか、もしかしたら元の人生がそのまま続いているだけなんじゃないだろうか。”
—「モン・プレジール」

 

西陣は、暮らしの見える街だと思う。昆布、お豆腐、和菓子、カステラ、コーヒー、お漬物、フランスパン、中華麺、あんこ、お魚、お肉、野菜、お花、本……。ここに暮らす人たちの生活に欠かせない、一つひとつは本当に小さな一部を担う店があり、そのすべての集合で暮らしが成り立つ。京都の花街のひとつ、上七軒が住宅街にひっそりと紛れ込み、遠くから聞こえる機を織る一定のリズムが日常のBGMとなり、月に一度、多くの観光客で賑わう天神さんが当たり前のようにここに暮らす人たちのルーティンに組み込まれ、そのルーティンを合図に都度、暦の移り変わりと月日を思う。

 

“行き先がはっきりしないまま車を運転していると、運転しているという実感がわかないものだ。自動車にはオプションで、一か所で足踏みしていられる機能をつけるべきだと思う。水の上も走れる機能みたいに。それが無理なら、せめてブレーキランプの間にもう一つランプをつけて、どこにも行き先がないときに点滅させて、周りに知らせられるようにしてほしい。”
—「2003年のメイク・ラブ」

 

暮らすこと、の先に目指すもの、行き着く先はあるのだろうか。行き先のない、ただやみくもに足踏みをするように自分の下の地面を踏み固めた集合が、ひとつの街なのかもしれない。

 

先日、わたしの運営する古書店に遊びに来てくれたお客さんが、「やっとお休みができたので、どこかでゆっくり眠りたくて京都に来ました」と言っていた。行き先なんてなくてもいい。ただその街で自分の日常を暮らす、そんな旅もすてきだなと思った。わたしもこの街の日常となり、そんな旅人を迎え、また送り出したい。

 

“人はみんな、人を好きにならないことにあまりに慣れすぎていて、だからちょっとした手助けが必要だ。粘土の表面に筋をつけて、他の粘土がくっつきやすくするみたいに。”
—「十の本当のこと」

 

今回引用したのは、ミランダ・ジュライの短篇集『いちばんここに似合う人』(岸本佐知子訳、2010)。プールのない街でリビングのテーブルに洗面器を置き、床で手と足を掻いて水泳コーチをする人、共同のパティオが共同であることを示すために、隣人のパティオの滞在時間を計って同じだけそこで過ごす人、本当はいない友人の妹と出会うためにいつも同じスーツを着ている人、家から二十七歩しか出られない人と飼っていない犬の話をする男の子。ここに登場する人たちは、誰もが不器用で、孤独で、そしてどうしようもなく誰かとつながりたい。暮らしはめちゃくちゃで、突飛で、面倒なルールがある上に行き当たりばったり。だけどその精一杯の日常がとてつもなくまぶしく、とてつもなくまぶしいと思える自分までもが愛おしくなるような一冊だ。

 

わたしはいつも、西陣にある大好きな自分の家で本を読む。ふかふかのクッション、リビングの大きなテーブル、風のよく通る、小さくどこからも誰からも侵略されないベランダ。本当は喫茶店や公園、と言いたいところだけど、わたしにとって街の中は、片時も目を離せないほどに忙しい。このコラムでは月に一度、わたしの好きな本とこの西陣の街を少しずつ紹介したいと思う。これからどうぞよろしくお願いいたします。

 

 


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