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狭間明日実

バザールカフェ店員狭間明日実

バザールカフェ事務局6年目。日々の営みをとおして、場から起こるもの、個人がのびのびと生きることなどを考えています。 傍らで、地域、福祉、食べることにまつわるいろんな仕事や遊びをしています。 同志社大学社会福祉学科卒業。社会福祉士。海が好き。

2022.08.13
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祭りっていうものが好きです。

7月8日・9日の2日間、3年ぶりに出町七夕夜店が開催され、友人と出店しました。
当日は子どもたちで大賑わい、元気いっぱいの彼らと同じくらい、一緒に出店していた大人たちのまぁ楽しそうなこと!知らない人ともフツーに話せてしまうあの祭りの雰囲気に久々にやられてしまって、私の祭り熱が再燃しました。

今秋11/23、バザールカフェでも3年ぶりに「バザールフィエスタ」を対面開催する予定です。
例年カフェの庭に販売ブースがいくつも出店し、ステージでは音楽やパフォーマンスが披露されます。会話を楽しむ人、再会に驚く人、1人でじっくりお店を見て回る人…。企画・運営する人も、来場する人も、当日は同じ空間で同じ空気を吸っているのだけど、テンションや過ごし方はバラバラ。というのが、この祭りの私が好きなところです。

これまで、仲間たちと一緒に祭りを作る喜びを分かち合ってきた体験が、私にとっての祭りというものを、より一層特別なものにしてくれていると感じます。

手作りの祭りが、あちこちに増えたらいいなぁ~。
秋にはぜひ、祭りでお会いしましょう!

(写真は2019年のバザールフィエスタ)

2022.06.04
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職人になりたいと、幼いころからぼんやり思っていました。

在学中、西陣の織物にふれ、職人さんを取り巻く人たちに出会い、多くの刺激を受けました。染織屋さんに、弟子入りはできますかと尋ねたこともありました。しかし厳しい道やでと言われ、小心者の私はすぐに引き下がったのでした。

結局、職人とは別の道を歩んでいる私。3年ほど前から、野草や野菜くずを集めては、台所やベランダで草木染めをしています。気が向いたときにやるだけですが、なんとなく理屈が分かってくるものです。

また、先月のこと。知り合いが織物教室を教えてくれました。バザールカフェとも関わりある個人がご自宅でやっておられる、ほぼマンツーマンの小さな教室。大きな機を使わせてもらい、ラグづくりに挑戦中です。

頭のどこかで好きなことを考えていると、不思議とめぐってくるものなのですね。
追究することや集中することが苦手な私は、やっぱり職人にはなれないかもしれないけれど、今のよく分からない状況も結構気に入っていたりします。
これまで出会いや機会を与えてくれている、西陣の場と人に感謝です。

(写真は、ティーマットを作成中のミニ織機です。たのしい!)

2022.04.02
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バザールカフェ、運営メンバーで年度末に話し合いをします。
話題のひとつが「地域のなかで、どういう存在でありたいのか」。

設立25年目にさしかかろうとしている団体なので、今さら感があるかもしれません。
でも、組織内はもちろんのこと、社会や周辺環境の状況も移り変わっていくわけで、都度こういった話をするのは自然なことだよなぁと、ポジティブに考えています。
むしろ、何度でも立ち戻ることが必要なんだろうなぁと思います。

それこそ私は人生30年目を前にして、どういう存在でありたいのか問うています。

急かされたり、分かりやすいものを求められたりすることがあるけれど、焦って答えを出さないでいられるといいな、と思います。
あいまいな自分の表現が社会と接するところを、じっくり見つめて味わう時間をゆるされるような、そんな社会を構成する1人になれたらいいな、という、あいまいなことを考えています。

カフェの話し合いもこんなふうになるんだろうなーと想像しながら、また来年度も皆さまと関われたら嬉しいなという気持ちです。
どうぞよろしくお願いします。

2022.03.02
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「コロナ陽性者が出て保育園が休園になった」
「小学校でリモート授業が始まった」

第6波が来たと言われてしばらく、こんな事態になっています。
普段行く場所をなくした子どもたちがどこに「いる」のか、私は想像できていませんでした。

2月上旬のある日、お昼どきを過ぎた頃にバザールカフェに寄ると、庭で4,5人の子どもたちが走り回っていました。そこに親御さんの姿はほぼなし。バザールカフェのスタッフやボランティアやお客さんが、子どもたちと一緒に遊んでいるのです。

カフェなので、子どもさんと遊べる態勢でないときが勿論あります。
まったく知らないお子さんが1人で訪れるということも、これまではなかったように思います。

ただ、子どもが今そこに「いる」ということを、空間や、居合わせた人が無条件に受け入れている。
そしてそれぞれが無理のない距離感で、そのときをなんとなく楽しんでいる。
そんなように私は感じました。

「お子さんと一緒に遊びます!ぜひおいでください!」と大手を振っては言えませんが、お子さんも親御さんも「いる」ことができる場所のひとつとして、バザールカフェを思い出していただけると幸いです。

2022.01.28
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お正月を過ぎた1月6日、バザールカフェの大掃除をしました。集まったのは15名ほど。黙々と作業する人、おしゃべりの間は手が止まる人、お昼ごはんを作る人、人がやっている作業を見てやりたがる人、大変な作業を買って出る人…。

以前に、バザールのことを「だらだらでばらばら」と表現した人がいます。この日も掃除という作業を通して、それぞれのやり方やペースが尊重されている光景がありました。冬晴れに、彼らの表情はゆるっと力が抜けていて、それを見て私も気持ちいいなぁと思ったのでした。

流行の感染症を取り巻いて、これをやったらだめとか、こうしないといけないとか、そういったことに、ぎゅっと身も心も支配されてしまいそうになることがあります。それはそれで受け入れつつ、一方では、のびのびと、体と心をほどくような感覚を、より大切に扱いたいなぁと思った、今年のはじまりです。

そういうわけで、きっとあなたの1年も、いい1年!

2021.12.18
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もともと西陣に住んでいた方に、先日インタビューをしました。

こっちに引っ越してきたときのあなたの状況ってどんなだっけ?初めてバザールカフェに来たのはいつだっけな。どんな場面だったか覚えている?そのときどう思ったん?…

質問するって、めちゃめちゃムズカシイんですね!まるでモヤがかかった海を、インタビュー相手と乗った船で、制限時間までに目的地に辿り着けるのか?!みたいな感覚で、はじめのほうは焦りを感じておりました。

しかし、インタビューの途中、相手の記憶に強く刻まれていること、相手が大切にしてることが見えてくるのを、何度か感じました。

それは、こちらが聞き出したかったこととは違っていたり、思いもよらないことだったり。それを聞いているうちに、なんだか心がほぐれていくような気持ちになりました。

きっと普段のコミュニケーションでも。
相手の反応や答えに何かを期待せず、相手の頭の中に興味を向けると、なぜか自分が癒される。フシギですが、それをちょっとだけ体験した冬の日でした。

それでは皆さま、よいお年を!
(「よいお年を!」の語呂がすごく好きで、この時期は何度も言いたくなります。)

2021.11.19
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寒くなってくると、肩がこわばって固くなったりして、「いま体がストレス感じてる!」と思うときがあります。それに気づいたときは、力を抜いてストレッチ。

うってかわって「私、最近 調子いいな~」と思うときには、近くに家事の負担を減らしてくれている人がいたり、お天気の日が続いていたりすることに気づいて、人や自然に感謝できます。

自分にとって心地よい環境とか、反対に調子が悪いときとか、そういったことを徐々に感じ取れるようになっているのは、「自分の心身の声を聴く」ということを、バザールカフェにいる人たちから日頃、教わっているからだなーと思います。

普段から助けられ上手な人
しんどくても言い出せない人
ギリギリの状態で人を頼って命を持ちこたえる人

人が違えば性格も違うわな、と思えますが、しかし自分ひとりだって、日によって体調や気分は違います。
昨日できていたのに、今日できない!ということもあれば、自分の心身の声が聞こえてこないことさえあります。

それでも聴こうとする姿勢が、自分を大切にするってことなのだろうなーと、最近思います。
つまり、季節の変わり目、皆さまご自身を大切に、健康に過ごされますように!

2021.10.20
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「不便益」という言葉をご存知でしょうか?
不便から得られる益、のことだそうです。

たとえば、バザールカフェでは食洗機を使わず、みんなの手でお皿を洗っています。
そうすると、お皿を洗う人と拭く人の間にコミュニケーションが生まれ、食器には愛着がわき、達成感も得られます。手が荒れる人がいれば知恵を出し合って、手袋をはめてみたり、洗剤をかえてみたり、工夫も生まれます。食洗機と違って、電気も使わないで済みます。
食器の手洗いは非効率で不便に思えますが、いいことがたくさんあるのです。

そもそも「便利」が一般的にどういうふうに使われているかというと、「何かのタスクを達成する時に労力が少ないこと」。そして、このときの「労力」は「手間がかかることか、頭を使わねばならぬこと」のようです。

つまり、この「労力」を(ときにはわざわざ)かけるのが「不便」。
そりゃー「不便」のほうがワクワクするわけだ!と思います。

身のまわりの不便益、みなさんも見つけて味わってみてはいかがでしょうか。

2021.09.20
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バザールカフェのお庭の畑は、いろんな人が手を入れます。

今年の春、1人の学生が畑の隅に大豆の種を蒔きました。
芽が出てくると一緒に喜び、学生の彼は支柱を1本立ててやり、この9月には大豆は50cmくらいの背丈になっていました。
最近バザールに来られていない学生の彼が、成長した大豆を見たらさぞ喜ぶことだろう…。
そう思っていたある日、ボランティアの方がさわやかに「畑に枝豆なってた~」と言って、なんとその大豆に実をつけていた枝豆をすべて収穫したのです。
私はぎょっとして、心を落ち着けて、とりあえず「すごい!」と言いました。
そしてたっぷりのお湯で枝豆を茹でて数名で食べ、学生の彼に謝罪のメールを入れました。
彼は、「大丈夫です」「オモロイ」とのこと。
寛大な彼に感心していた数日後。
別のボランティアの方が、「畑の草引きやっといたで!あ、こんなんあったで」と言って見せてくれた手には、根っこから引き抜かれた大豆。
私はもうぎょっともせず、思わず笑ってしまいました。
伝えると、大学生の彼も笑っていました。

共用の場所をつくり使うこと、分け合うこと。

大豆と大豆を取り巻く人たちによって、そんなことを考えた秋のはじまりです。

2021.08.21
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緑が覆う庭で、常連の大学生がボランティアスタッフのおじさんにベンチの作り方を教わっている。あるときはカフェの駐輪所に自転車を停めに来た高校生に、スタッフが大勢たかって「今日部活どうやった?」「晩ごはん何?」などとたたみかけている。またあるときはコーヒーを飲んでいる常連さんに「ちょっと相談にのってもらえませんか」と断る間もなくスタッフがすでに隣に座っている。と思えばスタッフとは初めに挨拶を交わしたきり、今日は特段話し込むことはなかったなぁという日もある。

これらはバザールカフェで見かける光景の一部です。その光景は「客と店員」という、あるいは「何者かと何者か」という区別をするには不似合で、そこにいる人と人とが自由な関係で相対しているように見え、とてもよいなぁと思っています。

バザールカフェの「バザール」の意味は「市場」。人が行き交い、コミュニケーションが生まれる場。それでいて、昔の日本の「市」は無縁の人がかけ込む場でもあったそうです。そこでは誰が何者であるかを追及されない暗黙の了解があったのだと知り、バザールカフェの設立当時によくつけられた名前だなぁと感心しっぱなしの最近です。