2022.09.21
Written By益田雪景
街に対して抱くイメージは、そこへ行くと壊れたり、輪郭が太くなったりする。先日西陣でお昼ご飯を食べる機会があって、食後に辺りをぶらぶらと歩いた。黒い物体に陽光が当たると瞬く間にその物体に熱が籠るような時間帯だったので、ぶらぶらしなければよかったと思った。しかしぶらぶらし続けたということは結局西陣をゆっくり歩きたかったということだ。
歩いていると、夏が鋭く響いていた。尖った夏の隙間を縫うようにして、ガタゴトと音が聴こえてくる。最初は何の音か、どこから聴こえてくるのかも分からなかった。でもいつからか、柔らかさと重さを併せ持つ音が、硬くて湿った夏の音を完全にはねのけている。その時、西陣のイメージ、つまり西陣織という伝統工芸の街としての印象が、頭の中で肥大化して、だんだんと色が濃くなって、音に対する疑問が止まる。その音の正体を明かしたい気持ちが汗と一緒に散っていく。やがてガタゴトという音は夏にすっかりかき消される。ぶらぶらとするのをやめ、自転車に乗って帰路につく。
西陣の街は、いつ歩いても音で満ちている。そんな気がする。それは西陣の音であって、どの街にも共通している「何か」ではない。
ライター益田雪景 オサノート
広島県出身。同志社大学在学中。大学ではボランティア支援室学生スタッフARCO及び新島塾2期生としても活動中。小説家は太宰治と遠野遥、映画は「劇場」と「ミッドナイト・イン・パリ」、音楽はgo!go!vanillasとB T Sが好きです。