2021.07.03
Written By川原さえこ
西陣を通る縦の通り、土屋町通を南から北へ歩く。
住宅地が続く中、「平安宮内裏弘徽殿跡」という石碑が見えた。案内看板であたり一帯は、平安京の内裏だった場所とわかる。すぐ近くに「清涼殿」の文字を見つけ密かに興奮する。
このところ、菅原道真を祀る天満宮信仰について調べていたからだ。
930年のこと。京都に災害が相次いだ際に、天皇をはじめ政治家たちがその災害対策を話し合っている最中の清涼殿に落雷が落ちる。相次ぐ災害と合わせ、落雷は太宰府に左遷され亡くなった政治家・菅原道真の怨念の仕業とおそれられたという。当時は、御霊会と呼ばれる死者の怨霊を恐れ神として祀る思想があり、その怨霊を鎮めるために道真を神として祀る天満宮信仰が展開した。
のちに、怨霊への恐れは消え、子どもの時より秀才だった道真にあやかって天満宮は学問の神様として知られるが、信仰発祥の契機の一つである落雷事件が起きた「清涼殿」が、ここにあったのだ。
そんな平安宮内裏跡一帯を通り抜け、西陣京極商店街につくと、竹屋町通からスタートした土屋町通は終わる。歴史の一場面が溶け込んだ地が、日常の路地に静かにあるのは、京都歩きの醍醐味だなあと思う。
もう一つの椅子川原さえこ
京都府長岡京市在住。フリーランスのリサーチャー、保育士。「もう一つの椅子」という名義でまちのランドスケープ(風景)研究を行う。東京下町から京都へ来て約1年。観光客でもなく京都の地元民でもない境界の視点でふらりと歩いたまちの景色を描く。